マドの思想

  • 2010.08.25
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古谷誠章さんは早稲田の教授で所謂プロフェッサーアーキテクト。僕らは設計をしなければ生きていけない中で必死にバランスを取ってやっているのに対して、良いものが出来て当たり前だろ、と正直思う存在でもあります。もちろん学生の側から言うと、何もつくってない人間に建築を語られるよりはずっと言葉に重みもあるという面もありますし、やっぱり「学」としてきちんと体系的に建築を語る事ができる存在なので、僕らはこうやって本から少しでもそんな良い面を吸収しようと思う訳です。
良く言われる事でもありますが、西洋の窓は厳しい気候や外的から守るために最小限の、その中でもどれだけ豊かな光を導くか、という作られ方をしてきたのに対し、日本などの高温多湿の地域では、動物や虫などは遮りつつもいかに風を通すか、というある種のフィルター的な役割を担い、柱の間を戸で遮る「間戸」つまり西洋のような穴でない、穴冠の無い窓である、という話から建築家のつくったマドたちを分析してゆきます。
面白い本だとは思いますが、プロフェッサーアーキテクトのせいか、当たり障りの無い評価だなあと感じたりします。たまに聞く話ですが、彼らもお互いたまにコンペなどで審査したりされたりする関係なので、お互い手厳しく表現はできないと。。つまらんなあー。
マドだけじゃなくて建築自身に言える事ですが、言葉で評価できるような面には限りがあって、言葉にできないような精神性に至って始めて名建築と言えると思うのですが、その意味では、言葉にできる範囲で書かれているように感じ、物足りなく思いました。
ただ、マドというにはとても大切ですので、何かを考えさせ、気付かせてくれる面はあるかと。
来月、全て木窓のうちの工事も終りますが、やっぱりアルミサッシュは出来る限り使いたくないと思います。マドの本質が失われるように思うので。。
コストやメンテの問題はありますが、うちも全部木でやってくれ!と誰か言ってくださいよ〜