ホーキングさん

  • 2019.08.16
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僕は宇宙には関心が薄いのですが、たまたま見た彼の自伝的映画が良かったので読んでみましたけれど、30年前、ベストセラーだったそう。

映画では生々しく演じられていましたが、ALSという難病。れいわ新撰組から当選した舩後さんも同じだそうで、政治の話は置いておきますが、身体は次第に動かなくなるけれど頭脳はしっかりと動くからホーキングさんは偉大な研究を続けられたというか、もしかして身体が動かなかったからこそ見えたことも沢山あるんじゃないか、視力を失うことで音楽的才能が伸びるように、とも思いました。そして僕たちは、不自由せずにいろんなことができていますが、それによって見えなっている大切なことも沢山あると思うし、何事もそうですが、何らかの制約があることで実現できることの可能性に集中してより高められる、ということもありますよね。

ところで本書は、著者が、できるだけ多くの人々が理解できるように伝えたいという思いによってとても良く書かれていましたが、難解に書くことで自分の価値を高めようとしているような全ての専門家は見習うべきだし、それによって人々が広い事象に興味につなぐことを遮ってしまっているということを反省すべきなんだと思います。

とは言っても簡単ではないので僕の自分勝手なコメントをしますが、最初に書いた宇宙に関心が薄い理由は、正直、宇宙の統一理論がわかったとしても、遠い星に衛星を送って、宇宙の正体に近づけたとしても、人類の知的好奇心は大いに満たされても人類の幸福には繋がらないのでは?と思ってしまうからなのですが、でも興味深いと思うのは、ブラックホールや宇宙の始まり(ビッグバン)というのは恐ろしく質量が高い、つまり物質が恐ろしく圧縮されて恐ろしく小さくなっている状態だと思いますが、その状態から見れば我々自身や地球上でも最も重い金属でさえかなり「スカスカ」な状態な訳で、それは「雲」が遠くから見ると形あるように見えても触れることができないことと本質的に似ているんじゃないか?と感じるところです。

多分何言ってるか分からないでしょうけど、つまり僕らの身体って、形を持って何十年と存在しているけど、宇宙から見れば一瞬みたいなもので土に帰ってゆくし、実際僕らを作っている分子も「スカスカ」な密度しか持っていないし日々多くの細胞が入れ替わることでしか存在し続けられない。それは上記の雲と本質的に何が違うのか?そして最近ずっと読んできた仏教的な宇宙観とも繋がるように見える、というかきっと宇宙の原理としてそれを感じたに違いないのでは?と思うのです。

大自然に耳を澄ませば、生物学を知らなくても自然の摂理が感じられるように、宇宙に耳を澄ませば、物理学を知らなくても生命の原理が感じられるのかも、みたいなこと、でした。