ソクラテスの弁明

  • 2016.04.24
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もっと早く読むべきだった。決して難しくないし、良書。

解説文より「紀元前399年ソクラテスは不信心にして、新しき神を導入し、かつ青年を腐敗せしめむる者として、市民の各階級を代表する3人の告発者から訴えられ、ついに死刑を宣告されるに至った」その裁判での弁明でソクラテスが語った事と、死刑直前にクリトンが脱出を促したが受けなかった出来事を弟子のプラトンが後に書にしたので、プラトンの創作も少なからず入っているけど、ソクラテスの精神の神髄を伝えている、という意味では真実だと言える。

まず死刑になった理由は、ソクラテスというと「無知の知」という言葉が有名ですが、つまり人間には全てを知り得ず、知っていると思っているとすればそれは思い込みであり間違いであり、でも人間は知っていると思い対し他人より上にいると示すために知っていると誇示したがる生き物だという事だと思いますが、ソクラテスはそれを指摘する事によって「私は知っている」と思っている人たちに恨まれた、という事で、逃げる事はできたのに逃げなかった理由は、「国法」というのは親のよう、というかもっと次元の高いもので、それが有ることで我々は生まれ、育ち、安心に生きてゆけるのだから、それに反するという事は国を根底から覆そうという事だからしてはいけないのだ、という事だと言い、自らの命にこだわる意味は全くないという事を弟子達に示した事によってプラトン達に本当に大切なものが伝わったし、今もこうやって名前が残っているのですよね。

また印象的だったひとこと「それが神であれ人であれ、およそ優れた者に従わぬことが、悪にして恥辱な事を私は知っている」。無知の知と重なる言葉だけど、今の世の中、実際何に従っているか?を冷静に考えてみれば、決して優れた者に従っていないですよね?たとえばソクラテスのような優れた人が居たのは知っていても、そこに自らの生きる道を見いだそうとはほとんどの人がしていない。だから今の世の中、ソクラテスに言わせれば悪で満ちているし、まだソクラテスの時代の方がずっと良かったと言えます。それは恐らく広い意味での宗教に、昔はどこの国も従っていたし、同様に悪が少ない良い時代だったんじゃないかと思います。建築の世界でも例えばルイスカーンの建築の思想は優れているとほとんどの人は同意するとは思うけど、今の流行りのスタイルや建築家に、それが優れているか考えもせず、真似をしているのは悪だ、と言ってもよいと、僕は思います。

最後に、たまたま昨日、ギリシア古典文学「オデュッセイア」を能楽師が、ギリシアの古代劇場で舞った時の台本を書かれた笠井賢一さんのお話とそのときの映像を見て来て、とても興味深かったのですが、能は、死の哀しみ、死せる魂を鎮魂する演劇であり、オデュッセイアは神話であり、同じく死に向き合う、という意味で深いところでつながっているからこそ成立したしそれを見たギリシア人もとても感銘を受けたようですが、向こうでは小学生がギリシア神話をきちんと習っている?ようで、日本では神話は教えませんからギリシアは日本よりずっと文化的だという一端かもしれませんし、日本にはせっかく能、という文化がありながら、特権階級の趣味みたいな存在になっているから決して生きた文化とは言えないし、もったいないなあ、と感じました。

人間が及ばない大きな力を感じる事。人間に力があるなんて思わない事。だと改めて思います。