スリランカ/バワ巡り旅-3

  • 2019.03.20
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そして最後のJetwing Lighthouse。バワの晩年の作品なので比較的新しいですが20年ほどは経過しているけど、やっぱり古くて嫌だな、という感じは一切ない。

いきなり不思議な写真ですが、エントランスにいきなり現れる螺旋階段に、かつてのポルトガル軍と戦った記憶を表現したそうですが、この建つゴールは、古く発達した都市でもありポルトガルなどの侵略を防ぐために要塞のように石垣を作っていて、写真は取り忘れましたが、このホテルの外壁にもその石垣をモチーフにしていたり、観光客たちにもこの場所の歴史を感じてもらうため、という演出だそうです。

こんな風に海に接してはいますが、岩場で決して泳げる場所ではないので、この内側にプールがありますが、どうもスリランカ人はあまり海には入らないようだし、やっぱり自然観として海は恐ろしいものだと思っているのか?ここもあえて波が岩にぶつかって水しぶきをあげるような場所に建てられています。

プールにゆく階段。表現としての強さがちょうど良いですね。

いろんなタイプがあるようですが、モロッコ風?のとても良い部屋でしたが、どこまでバワがインテリアをやったのか分からないけど、いわゆる高級ホテル(まあ泊まったことないけど)なんかよりずっと上質だと思いましたし、こういうのは、10年、もっと経ってヘタってきても味になるんだと思います。

と、バタバタコメントを書いてみましたが、なんだわざわざ遠くまで行って「多神教」云々しか言ってねーじゃねーか?と言われればそうかもしれません。

色々感じたことはあったのですが、やっぱり多神教的な感覚は言葉にはできないのだ!と言い訳しておきますが、もう少し説明すると、つまり、多神教的思考回路の中では様々な(狐や。。)動物が神となったり、山そのものが神になったり、とつまり全ての動植物と人間に上限関係がないというか、人間が上には決していない、全てが平等な思考回路、ということができます。でも、その感じたことで、自分の建築の作り方への大切な教えは、小賢しい知恵や小手先で形を作る、ということへの戒めであり、それは当たり前ですが「流行り」や「評価」とは別次元なものだ、ということだと思うのですが、まあそれも頭では前からわかっていたことだけど、でもこうやって、バワ、という人が残してくれた足跡をまだ十分ではないけど辿ることができたことで、体でも少し分かったかな、というところです。そして、敢えてバワの建築を表現すると「多神教的なるものが一神教的合理主義を飼い馴らした」建築だと思いました。それは肯定的な意味で、スリランカに根を持ちながらも西欧に触れたバワの中で両者が良い形で融合した、とも言えます。

あとはスリランカという国。内戦が終わってまだ10年ほどで、バラック的なところだらけだったんだけど、移動中10時間くらいはそんな姿を見ていてもなぜか飽きず、嫌な気持ちにはならなかったけど、日本に戻って、眺める住宅なんて、見てられないのは何故なんだろうか?と。そしてそれは、バラックなんて、金や資材がないから受け入れるしかない、という明るさがあるんだけど、日本の家なんて安くたって何千万かかっているのになんでこんな選択肢しかないんだろ?という悲しさのように思いました。

そして日本同様自然にあふれた島国、というスリランカは、文化も、人々も、食事も、それぞれに魅力的でしたので、いつか再訪できれば、と思いました。おしまい。