カラマーゾフの兄弟

  • 2012.11.17
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2000頁近い長編、やっぱり時間はかかったけど、楽しく読み終えました。
でも、ドストエフスキーがここまで書いてすぐ亡くなってしまったけど、これは第一部であって、第二部まで書くつもりだったらしい。。とはいえ、小林秀雄が「およそ続編というものが全く考えられぬほど完璧な作品」と評したそうですが、確かに素人目にもそう思いました。
でもなぜこんなに惹き込まれるし、前半半分でも完璧なのか?と考えると、登場人物の言葉たちの重みが成せる業じゃないかと思いました。
小説でも読書全般でもそうですけど、ある人の生き方や考えて来たことが凝縮されているから価値を認めるし、僕たちの人生も、様々な人との出会いがあって、その中でもとても印象に残ったり影響を受けた人って誰でもいると思うのですが、読書というのはそれを、「本」というものを通じて自由に出会いを選び、限られた人生の中でより様々な事を感じ、考えることができるのじゃないかと思います。
そんな意味で、このカラ兄は、恐ろしく密度の高い登場人物たちなのです。
でも、同じ意味で、とても重たいし、こちらに受け止めるキャパがないと読めないかもしれません。
つまり、僕も今だからこんなに感動しながら読めたけれど、学生時代やもっと若い時だったら途中で良くわからずに飽きてしまっていたかもしれない。
本や、芸術や、建築物や、そして人びとも、出会う時期が違っていたら全く素通りしてしまったようなものが、あるタイミングで出会った事によって、とても大きな感動を与えてくれたりするよな、って改めて思いました。
ドストエフスキーが彼の人生の中で出会い、考えた事を、登場人物に代弁させた。そんな本ですし、その言葉たちが恐ろしく重く、深いのは、彼が本当に深く考え続け、それを本当に伝えたいという気持があったからじゃないかと思いました。
内容に触れてませんねw