よのなかのルール

  • 2012.07.16
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しばらく前の本ですが。。。
「世間」というと外からの視線というか世間体という言葉の通り、私たちが外から求められるものですが、ここでは、「ぼくの答え」というか「内から外へのまなざし」という意味で、「よのなかのルール」を見つめ直すために何人かでいくつかのテーマを取り上げています。
宮台真司さんのストレートな物言いが好きでそれもあって読んだようなものだけど「なせ人を殺してはいけないのか」は面白かったです。
人間も殺戮を繰り返して来たし、動物も殺すまではゆかなくても凶暴になるのは、「仲間を殺すな」という単純な本能のようなものがあり、だから侵略されたり戦争時には平気で殺す事ができて、それはやっぱり仲間でないものが侵入して来た時なのですが、その「仲間」という範囲がある地域や国、という範囲で感じられていた時代が終わってしまい、とても身近な仲間(友人とか)でない限りは仲間なんかじゃなく犬や電信柱と一緒、と感じられる時代になってしまったから無差別殺人のようなものが起こる時代になったのではないか、そして「何故人を殺してはいけないのか」と敢えて問わなければいけない時代になってしまったのではないか、と。
それでも、特殊な精神状況だったり訓練を受けない限り,戦場でいきなり殺したりできないだろう理由は「自尊心」があるからであって、それは本来親や大人が「承認」という形で子どもたちに与えてきなものだけど、戦後の共同体の空洞化や大量生産的な教育の中で、「自立的尊厳」を抱けなくなってしまったしそんな大人が子どもに接する事で「バカを感染す」連鎖を起こしてしまっていると。
日本の子ども番組(最新は良く知らないですが。)では「みんな仲良し」とやっていますが、先進国は完全にやめているそうです。つまり仲良くできない相手とどう付き合うかを何も教えないことによって逆に人殺しを奨励してしまうという。
つまりは個々が自立し、自ら判断するという環境をつくってゆかなければならないのですが、今の親世代が既に「バカ」だから事は単純ではないわけですが。。
と宮台さんほど過激でないにせよ、他のテーマもまあまあ面白かったです。
ついでに姜尚中さんとの対談本を読んだのですがいやいやこちらは遠慮なく難しい内容でした。
が、その中で引用していた「ミドルマン」つまり「メディアによる世論形成を正しく行なうには、エキスパートと大衆では駄目で、そのあいだを媒介する人間が必要」という概念ですが、お二人ともどこかでそれを自任されているようですし、何も分かっていないのにそれらしい事を分かったように語る連中が多いのを嘆いていたりしますが、我々側にも、そのミドルマンの真価を見極める程度の能力は求められているという事だと思います。
以前からたまに言ったり書いたりしてますが、プロっていうのは本来そんなミドルマンであるべきだと思っていますし、僕であれば建築の世界でそうありたいと思っています。