ありのままに見て感じること

  • 2008.04.22
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大学の卒論の関係で「現象学」というものをかじりました。
簡単に言うと、人間というのは常に既に、様々な偏見にとらわれ、色眼鏡でしかものを見ることはできません。例えていうと、ネクタイをしていれば男だと思うし、スカートをはいていれば女だと思ってしまう。でもそれは男女の本質ではないんだけど、ついついそんな事を基準に男女の区別の基準にしてしまっています。
現象学では、そんな色眼鏡をはずし、「ありのままに」ものごとに向かい合う事を通して、様々な事を見直し、そこから、事の本質に近づこうとしました。
フッサールという人が始めたこの思想は、たいした事がないようで、実は西洋哲学の凝り固まった流れを大きく変え、ハイデガーなどの偉大な思想家を生み出しました。
と思想の話をしたいのではなくて、建築をつくるときにも、我々は様々な偏見にとらわれ、踊らされていますし、それでは本当に心から感じられる空間を生み出すことはできません。
ある風景、それもとても単純な風景。例えば古びた小屋から森が見えたり、海が見えたりとか、ありふれた人工物と、自然との対比から、何か新鮮なものを感じたことはありませんか?
人工物には全てと言っていいほど、名前や意味が張り付いています(それを記号といいます)。
テーマパークなんかは、記号のオンパレードで、それはそれで楽しいのですが、本当に心にしみ込むような気持ち良さというのは、それと対極にあるような、言葉にしがたいものです。
言葉になってしまうと、それが固定化した意味となってしまい、類型化されてしまうので、結局偏見のワナにはまってしまいます。
そのワナにはまらないように、いかに感じ、感じられるものを生み出すか。
実は現象学も、人間が考えている限りは言語を使わざるを得ず、偏見や色眼鏡から逃れることはできず、結局ある限界を抱えます。
ハイデガーも、人間の存在というものの正体を追い求めましたが、結局はその壁にぶつかってしまったようです。
でもだからと言って、諦めることなく、現象学的に、自分がとらわれている偏見や色眼鏡をはずしてものごとに向かい合い、感じ、そこからものごとの本質に迫ろうとする事はとても大切だと思います。
そのために建築に何ができるだろう。
楽しげな建築、売れる建築、そんなのをつくるのは簡単ですが、それらは全て、どこかで見たような、既視感の中にあります。
そうではなくて、何かありふれているけど、新鮮な気持ちになれるようなそんな空間をつくることが大切だと思っています。
ちょっと分かりにくいですね(^_^;)
でも人間、分かりにくいからと諦めたらおしまいです!