里山資本主義

  • 2013.10.20
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複数人によって書かれていることもあり多少一貫性がなく、現実的な具体性に欠ける面はあるけれど、以前個々でも確か書いた?「マネー資本主義」というNHKの特番だったかな。その気持ち悪さというかそれを乗り越える為にはこれしかない!という事でできた本のようでして、僕もそのマネー資本主義をとても気持ち悪く思っていたのと、やはり歳をとると自然と触れたりその中で生きたりする事に惹かれるのか、というのもありとても楽しく読みました。
まあ元々昔はどんな社会でもそうだったんだろうけれど、自給自足に近い生活をして、薪を燃やして暖をとり煮炊きをしていたわけで、アメリカ的な、分業効率化の社会がすっかりそんな生活を排除して、食も燃料も外国頼りになってしまっているけれど、過疎化した里山のいくつかでは、材木の廃材から発電をしたり、老人が自分たちでつくった野菜を持ち寄ったりと、ある種自立したコミュニティが生まれつつあり、もちろんそんなものが主流になる訳じゃないけれど、震災ごとに明らかになるように、そんな自らのバックアップというのが最低限あるという事も必要だし、また、マネーに振り回されないもうひとつの多様な生き方としての里山的な生き方というのも増えて来ているようだし、とても幸せそうに生活をしている人たちが沢山いる。という話です。
僕もその、多様な選択肢の一つとして、という意味での里山生活というのは大切だと思うけれど、ただ、中途半端な気持ちで、何か不便があったら行政に訴える、なんて程度だったらやめるべきだとは思うのと、あと、1人の筆者が書いていた、最新の「スマートシティ」が地域をつなぎ、無駄を減らし、新しいコミュニティをつくろうとしているので、それこそ同志であり、今後の両輪として里山とスマートシティはある、なんて書いていたがそれだけは反対です。つまり、私たちの手間を軽減したり助けるはずのパソコン(もちろんそれもしてくれてるけど)が、購入し、維持管理し、バージョンアップし、新機能が増えたらまだ新しいのに買い替えを強いられ、というのが、間違いなくスマートシティとか言ってる先にはあるはずだし、家電メーカーなどが力を入れて開発をしているなんて事はもちろん今後、継続してお金を落とさせる為に決まっているので、それが私たちを自由にするなんて思えなくて、逆に手足を縛られるだけになると、僕は思っています。
でも、里山生活はきっと、面倒な事は多くても、精神は自由になれるでしょう。

その前にこれを読んでいたのですが、最初の方は、なるほどー面白いなあーと思ってましたが、途中から飽きて来ました。つまり、「マネー」の匂いがプンプンするのです。笑
あの勝間さんがネタ本にしていたと書いていましたが、まあ、お金を稼ぐネタですからプンプン匂う訳だし、気持ち悪いのですね。
ちょっと対照的だったので一緒に書きました。
里山資本主義の著者の藻谷さんが書いてましたが、日本は成長が止まっていて大変だ!と良く言われますが、実際働いている生産人口に対する成長はまだ世界一らしく、つまりただ生産人口が減っているだけなのだから当然の事だ、とか、どうも巷が発表している事というのはある意図を持って私たちを洗脳しようとしているので気をつけないといけないですし、そんな洗脳をされている限り、里山生活なんて単なる落ちぶれとしか映らないんでしょうけれど、早晩、日本も老人だらけでどうしようもない時代が来ますから、中央にすがらずに、小さいコミュニティでも自立して元気に生きる老人が増えて行く事というのは必須なんじゃないかと思います。
そしてその鍵の一つは森林でしょうね。せっせと植林してもう刈り時なのに林業も廃れかけて放置されている森林が沢山ありますが、一方でせっせと外材を買っているわけで、問題は農業と同じかもしれませんが、値段勝負じゃ勝てないから補助金などに頼るしかなくなって、自助努力もなくなってしまっている。県産材を使えば補助が出るとか言っても結局ハウスメーカーがムク材なんて面倒だから使いたくないからマイナーな存在止まり。森林だらけの日本で、林業が廃れればやはり過疎地は過疎地のまま。オーストリアは林業が元気らしく集成材でビルも建ったりしているようで、それも良いのですが、個人的には、せっかく太い丸太があるのに、切り刻んで接着剤でくっつけなくても良いじゃないか、ムクのままでやれる技術とスケールでまずはできるだけやってみようよ、と思う訳です。
「マネー」に気持ち悪さを感じる方は是非読んでみてください。