竣工−1

  • 2008.03.01
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明日の引渡前に、今日オープンハウスを行い、竣工写真を撮ってきました。
竣工写真といえば、建築家と言われる(私は。。)ひとたちは、建築写真家と言われる人たちに撮影を頼んだりしますが、もちろん費用もかかりますし、なかなか近くにお任せできる方がいないこともあり、今まで数件を別として、自分で撮ってきましたし、やっぱり自分が狙いたいアングルというのは、自分で撮るのが一番だと思ってしまう面もあります。ただ、機材が根本的に違うのでやぱり差は歴然としますが。。
住宅の外観というのはなかなか難しく、というのは、必要なところに窓をつけて、換気扇をつけて、電気配線やエアコンの配管が出て、などと、本来外観としては好ましくないものが、どうしても必要になり、それを力業で目立ちにくく、もしくはお金をかけて見栄えを良く、という事もできますが、やはりそれでも限度があります。
この住宅では、顔となる西面は、西日はそれほど好ましいものでもなく、また道路の喧噪から内部を守るためにも、道路側には窓はなく、そのかわりに、コの字の中庭面に窓を大きく開いています。
このことによって、顔となる西面は、生活の必要から解放され、すっきりとした面としてまち並みを形成することになります。何も、窓がない方がいいという訳ではなく、アルミという材料、樹脂という材料などが、雑然とまち並みを構成するのはマズい!ということです。
また、外部の視線と内部の視線が通ってしまう窓というのは、お互い気まずいばかりで、人間同士の悪い関係を生み出すだけですが、このように、外部の視線や音などから守られた大きな窓というのは、内部の住人にはもちろん、外部を通る人間にも、無用な配慮を不要とするという意味で、相手を思いやる、つまり品のあることなのだと思っています。
少し前にできた住宅のように、とても眺めの良い方向があれば、気持ちよくそちらに開けば良いのですが、普通は周辺の人々の視線や気配を気にせざるを得ないのが現状です。
そんな意味で、敷地の中のどこに建物の「外部」を生み出すのか、というのが設計をする上でもっとも大きな方向性を決めるものですし、この住宅では、それが中庭のデッキ空間だったということなのです。
建築は、人に対して、「優しく(様々な意味で)」なければ存在価値はありません。
そして、優しくあるためには、「思慮深く」なくてはなりません。
人々や、環境などに対して、思慮深くありたいなあと、そんな事を思いながら設計をしてきましたが、それでもまだまだ至らぬ事が多く、凹んだりもしますが。。
内部はまた改めて。