漂うモダニズム/槙文彦

  • 2014.11.18
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以前新建築に「漂うモダニズム」という文章を載せていて、槇さん85歳超えられたくらいかな、人間ってそんなものかもしれないけれど、少し今までの自分をまとめたり伝えようとしたりされているのかな、槇さんがとても健全に建築のことを考え続けて来られたのが感じられるし、正直建築家の書く文章なんて半分は分からないし分かる必要もないかもしれないようなものだけど、特に本書は概ね読むべき、と言える内容でした。

前にも触れたと思いますが、ウィトルウィウスの用、強、美、の美(Venustas)にいてそれは美と訳すべきでなく「歓び」とでも訳すべきだと最近は考えられている、と紹介しているのだけど、僕はそれはとてもとても大事なことで、でも槇さん以外から聞いた事はない。つまり美とか言って黄金比を持ち出したりするから人間が疎外されてきたように思うし、若い頃アメリカで良い経験をされて戻ってからも代官山ヒルサイドテラスのような、人間に触れるような仕事を続けてこられた槇さんは、表現こそモダンではあるけれど、大切な事を分かってられると思う。

これも槇さんの言葉で好きなものだけど、「独りにとって素晴らしいパブリックスペースとは、また多くの群衆が集まった時にも素晴らしいスペースである」というもので、昨今暴力的な程に巨大な建築やスペースが生まれているけれど、もしここに自分一人っきりだと考えたら、とても落着かない、優しくない場所ばかりだと思えるけど、本当はそうじゃないものをつくるべきだ、ということを教えてくれます。

あと、コルビュジェについて

「コルビュジェほど20世紀において現代が無意識のうちに待望していた新しい空間のレトリックを創り出し、建築に新しい豊かな地平の存在を掲示してくれた建築家はいなかった」
「誰よりも豊かに多義的に空間の存在と創る秘密を我々に解き明かしたのだ」

つまりはコルビュジェを筆頭にそういう時代がモダニズムの時代だったのだろうし、でもそれぞれの建築家が決して一括りにできない世界表現していて、槇さんの表現だとモダニズムが大きな船でそこにはスープで言えば具がしっかりとした形で残っていたのに、それが現在に至るまでに具が溶けてポタージュ化してしまったというのだけど、情報化社会の結末を見れば同様なのだろうけれど、多様化されているようで実はポタージュ化してしまわざるを得ないということだろうか。

モダニズムと共に育ち、回顧されている槇さんの世代から、モダニズムなんて感覚的にも知識としても良く分らないに近いような世代にだんだんなってきているのだろうけれど、ま
だ槇さん世代がお元気なうちに、モダニズムとはなんだったのか?そしてこれからの建築にとってモダニズムとは何なのか?と問うておかないといけないように思っています。