洟をたらした神ー吉野せい

  • 2015.02.18
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新聞の書評で気になり読んでみましたが。すごい!是非読んで欲しい!

読んで改めて感じるのは、人間って自然を飼いならし(たつもりだけのところもあるけど)自らつくった環境に身をおくことで、結果様々な感性を鈍らせるというか、そんなに鋭敏でなくても良いようにしてきていると思うし、確かにそれは人間がこれだけ増えて繁栄?するために必要なことだったと思うけれど、「それ以前」の人間ってどうだったんだろう?という事を考えさせ、感じさせてくれました。
彼女は1899年に生まれ、若い頃は文学も随分やり、才能もあったようですが、詩人で小作開拓農民の三野混沌と結婚し、「懇親の血汗を絞り」ながらも敗戦後の混乱のさなか「生活の重荷、労働の過重、6人の子女の養育に、満身風雪をもろに浴びました」「貧乏百姓たちの真実のみ」であり、「底辺に生き抜いた人間の真実の味、にじみ出ようとしているそのかすかな酸味の香りが仄かでいい、漂うてくれたらと思います」とあとがきにあるような生き方でした。
本人は書くつもりもなかったけど、周りが書くべきだと推したから残ったようなものだろうけれど、この1冊には大正11年から昭和49年まで、ほぼ彼女の人生を横断する短篇が入っているので、その生々しい生涯をとても感じる事ができます。
特に共感するのは、多分、僕の父方の祖母も、女手一つで、息子5人を、正直ほとんど語ってもらったりしてもらった事はないのは残念というか、敢えて語りたいとも思わないんだろう、農業をしていたようで、随分苦労もあっただろうし、辛い思いも沢山したんだろうけど、だから僕も生きていられるわけで、というのもあり、なんだかとても心に響きました。
生な世界と裸の心身、というのか、そんな状況だと、手袋を外して直接触るというかそれこそ皮膚まではがして握っているような本当の生な感性になるのかもしれない。それも日々生きる事に本当に追われて走り続けるしかないような状況だからよりそうなのかもしれない。お互いそんな風に生きている同志だから「人間同士の心の奥に流れあう凄まじい信頼」なんて言葉がでてくるんだろうな。現代はみんなそんな真剣に生きていないし、社会や親でもナメて生きている同志からは決してこんな言葉は生まれてこないんだろうなと思う。
ご興味を感じたら是非読んでみてください!