未来に誇れるものを

  • 2009.07.07
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いつもスタッフにも、そしてもちろん自分にも、いつもちょっとだけ背伸びするように言っています。
無理しちゃ続かないけど、いつも自分の能力よりちょっとだけ上を行くように心がける事で、それが大きな成長になります。
そんな意味で、もちろんいつも目の前の設計もそうしているつもりで、常に何か新しい目標を持つようにはしているのですが、最近の目標は、タイトルのような事です。
もちろん、僕という存在はいつか消えます。でも、僕が設計したものはもっと長く残り得ます。
それに今この瞬間にも、僕が知らない誰かが、僕が設計したものを見て何かを感じているかもしれません。でも、そんな「見ぬ誰か」が、少しでも何か良い事を感じて欲しいと素直に願っています。
そんな願いは、設計者だけの特権では、もちろんなくて、ものをつくる職には、全て共通のもののはずですが、世の中大量生産大量消費のコマーシャリズムの中で、そんな意識が滅ばされようとしているだけです。
僕は、だいぶ前から、世の中を良くする一番良い方法は、「かっこいい大人」を増やす事だと信じていますが、もちろん、表面的なかっこよさでない事は言うまでもありません。
つまりは職人の背中のかっこよさです。
設計者というのもある種の職人ですが、もちろん僕はものを作れません。
だから、一緒に建築をつくる職人さんたちが、かっこいい存在に感じられるような、やりがいのある設計をしなければいけないと常に思っています(迷惑に思われてるかもですが。。)
もちろんお願いしている工務店さんの職人さんたちはいつも面倒くさいだろう僕の設計を前向きに頑張ってくれるのでとても感謝していますが、なんとなく、直接的なつながりが感じられないところに(工務店を介するので当然ですが)ちょっと物足りなさを感じたりもします。
で、思いつきのようで決してそうではないのですが(プールで泳ぎながら真剣に考えた!)、こんな考え方に賛同されるような職人さんや良い材料を扱ってる方とかがいらっしゃったら、是非、ご紹介ください。
今の世の中は数値化できる形で評価をしますが、本当に良いもの、本当に誇れるもの、本当に何か伝えるものというのは決して数値化できるものではないですし、それはつくる側の誇りでしか実現できないと僕は思っています。
なんか(いつも)重たい言い方ですが、前向きな気持ちがあれば、それが良いきっかけとなって、大きな力になると信じていますよっ。