日本建築思想史/磯崎新

  • 2015.06.06
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僕は44歳になりましたが、40歳上の磯崎さん。周りも聞いておきたかったのか本人も話しておきたかったのか、僕らが聞いておくべき、生きた歴史が語られていますが、実は歴史って学者も沢山いて学校でも散々習ってきたけど、生きた歴史、つまりぼくらがこれからどう生きて行こうかと考える力となるような生きた歴史なんて、それも表向きになならないけど影で働いて来た大きな力が一体なんだったのか?みたいな事ってなかなか触れられないけど、本書にはそれがあります。

もちろんそれは、磯崎、という一建築家が1人で背負って来たから言えるというか、つまり裏の部分なんて学者はそう触れられないでしょうし、磯崎個人の責任でももって発言している訳ですから、ズレている部分はあるにせよ、やっぱり生き生きと僕らに迫ってくる歴史であるわけですね。
建築設計を真面目にやってきていれば、どこを読んでも面白いので、敢えて細かい部分は引きませんし、まあ既に語られて来た事もかなりあるので目新しい事が多い訳でもないのですが、聞き手の横手さんの師匠が鈴木博之さんだったこともあり「地霊」や「批判的地域主義」の話になりましたが、それを、「(近代の)根拠でもあった精神が消えたときの逃げ口だった。たんに後ろを向くだけの普通の保守」「建築的思考から逃げた」とバッサリ言うのですが、ここに本当の磯崎というのがあるんだと思いますし、その延長で言えば、建築的思考に向き合い続けて建築をつくり続けられている建築家が磯崎以外にいるのか?となってしまいます。
つまり、もちろん時代やその場所の中で建築は生まれざるを得ないけれど、建築というのはそれ自身で本来自立したものであるべきだし、建築家は自立したものとして思考をしなければならないという事だと思いますし、新たな構造技術や流行に流されたり、エコや、法規などに振り回されたりしてできたものは建築とは呼ぶべきではない、とは僕も信じています。じゃなければ読もうと思いませんがね。
建築家でもないのに建築家と名乗ったり、どうしもない建物を建築と呼んだりするのをやめるところから始めるべきなんでしょーね。