日本の民家 1955年

  • 2013.04.16
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この本の復刻と、展覧会(行きたかったのですが。。)の後、二川さんが逝かれてしまったこともあり、ある種遺言だったのだろうかな?とも思ったりします。
1957年に書かれたあとがきで、京都や奈良の古建築にはなにか満ち足りない思いがあった時に、たまたま白川の民家を見て「人間生活とともに長い歴史を生き続けて来た民家のガンバリと力強さ、私は民家のなかに民衆の働きと知恵の蓄積を発見し、この現在に生き続けているすばらしい過去の遺産を、自分の手で記録しようと思い立った」結果、建築家を志していたけれども写真家になり、その後は建築の世界では知らない人はいない、大きな影響を建築界に与えて来られました。
一通りながめ直してみて、高山の日下部家は、しばらく前に見ましたが、いまだに変わっていなくて、本当に「ピシッ」としていて、残るべくして残ったんだろうなと感心した一方で、今では恐らく板金などで覆われてしまっているであろう、茅葺きの民家たちがそんな覆いをされる前の生き生きとした姿というのにとても感銘をうけました。もちろん写真が素晴らしいのもありますが。
その二川さんがその後は現代の若手建築家の後押しもしてきたと思うのですが、例の新国立競技場で勝ったザハ・ハディドも、若く実績も無いのに展覧会と出版のチャンスを二川さんに与えられたし、「彼の『目』はなかなか継承できるものではない」と言っていました。
古いものも新しいものも、本物は本物。偽物は偽物。その違いをきちんと見分けられる人が、建築家といわれる人たちの中でも一体どれだけいるでしょうか?
写真は実物とは違うけれど、でも文章や言葉のように人を煙に巻くような事はしないから、だからカメラを通して建築を見る眼差しというのは厳しいものなのだろうと思います。
これを良い機会に、上記で二川さんが感じられたような質を持つ建築というのを、新旧問わず見る目を養ってゆきたいですね。