新建築4月

  • 2010.04.09
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伊東豊雄さんのバルセロナ見本市グランビア会場‥です。国際指名コンペというのはやっぱりある種のブランド的イメージを求めて行われるものでしょうし、プロジェクトも建築家も商業ベースで成り立つわけですから仕方ないけれど、楽しげだけど軽薄な感じを受けてしまいます。
それより記事の中の伊東さんたちのトークイベントで、建築を生命に近づけられないかとしている伊東さんに対して、生物学者福岡伸一さんが「生命の参照の仕方に何らかの危惧があるとすれば、その生命現象を常にどこか高い場所から鳥瞰するような視点から捉えるという事なんです。生命現象というのは実に分散的なもので、ローカルなルールで成り立つ関係が連鎖的に広がり、平衡状態になっているからです。」と、また佐倉統さんが「生命を参照するという事になると、使う側が好みに応じて、そのアナロジーを取り出しがちになる」と言っていたのがとても印象的でしたし、伊東さんもまだその辺りに明確な答えが持てずにいると答えています。
例えば、昔の日本の、瓦と木と土で、日本の風土に合ったものをつくる、という限られたルールのもとで街並が出来、都市が出来、焼かれてはつくられ、みたいなものはある種生命へのアナロジーを持つと言えると思いますが、それは決して見た目やイメージが似ているという事ではないですよね。という意味で、最近たまに伊東さんがつくられているものに違和感を覚えるのはそのあたりかも知れません。
じゃあパタンランゲージのようなものが生物的か、というと確かにローカルルールの蓄積でものができるけれど、「細胞はつくることよりも、実は壊す事にキャパシティを多く持っている」というように、建築的な出来かたとはどうも相容れないように思います。
で、僕はさっき書いたような、瓦と木と土しかない事によってある種の平衡を保つような都市や建築がやっぱり健全なんじゃないかと思ったりもします。
過去に戻ろうなんてのは無意味なので、今何ができるかを考えてゆきたいと思います。