新建築4月

  • 2014.04.02
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僕の嫌いな巨大開発。表紙はアベノハルカス35万平米!大きさはピンと来ないでしょうけど、普通の学校50個分くらいじゃ?

コンセプト文に「超高層コンパクトシティ」とあるのだけど、300m、60階もある事によってエネルギーもかかるし、構造体自体やエレベーターなどもゴツくなるわけだし、もちろん道路や下水といったインフラは新たにいらないにせよ、この規模だとビル自体がインフラであるから、これをもって「コンパクトシティ」だというのは納得がゆかない。
東京では更にだけど、新しい高層ビルがボコボコ建ち、テナントもどんどん埋まっているらしいが、労働人口が減っている中で新しいものに入る人がいるという事は、どこか古いビルが空室になるわけで、そうするとまだまだ使えるビルが取り壊されて新しくなって、そこにまたテナントが動いて。。。という循環が起こり、そりゃあ経済には良かろうが、まあ地球は更に温暖化してゆくわけでしょう。

あと、多分、東京の中心がそんな状況になる事で東京の周縁部や浜松みたいな行けば行けるような地方都市のテナントなんかも移っちゃったりして、更に空洞化、東京への一極集中!という流れを、国が規制緩和だ容積緩和だやってゆく果てに生み出しているとしたら、地方都市の我々は、待った!をかけないといけないんじゃないかとも思います。
月表で、トムヘネガンが、エーロサーリネンの好きな言葉を引いて「<建築>の目的は、人間の成果生活を護ること、豊かにすること、そして自分がこの世に生きているという人間の尊厳を満たすところにある」と。最後の「尊厳」の部分は評価しにくいだろうけど、本当に大事だなあと思う。
そんな意味で、人間のスケールをはるかに超えたこんな巨大建築は、間違いなく人間の尊厳を奪いこそすれ、満たしはしないのだ。

もうひとつ、写真右下「えんがわオフィス」は築80年程の民家を改修したそうだけど、まあこういうのは今の流行りでもあるとは言え、あと80年後に、今建てられているものがこのように改修されるだろうか?と考えると絶望的な気がします。つまりは昔は構造的にも用途的にもある程度の「巾」というかゆとりをもってつくられていたように思いますが、今は、今の経済性とか構造強度とか、多少の巾はあっても大した巾でない所でつくられざるを得ないので、多分80年後には生かそうにも生かせないものになってしまっていそうだし、良く思うのは、その頃に、文化財となれるようなものは全く今作られていないのではないか?それでいいのか?ということです。
まずは、建築を人間的スケールに取り戻して、真摯に向き合うことで、尊厳を満たす、ということが建築の第一義になるような状況をつくらなければならないと思います。