新建築3月

  • 2012.03.06
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鹿島本社ビル(賃貸部もあり)。隣接していた築40年の本社ビルは解体されたそう。早〜い。
住宅設計者が自邸を建てる時には住宅とはなんたるかを多少なりとも追求するように、オフィスに対して何か追求されたのか?の最大のポイントは時代が変われば早々に建替えるという事か?丁寧に最新の方法で解体されたとまで載っていました。もしくは他社が今時の手法を満載して新社屋をどんどん建てる中で、やはり強迫観念的に建替えざるを得なかったとのでしょうか?
まあ民間企業ですから(公共物件は違いますが)文句を言われる筋合いはありませんけれど、でも一方では短期的な事ばかりクローズアップしてエコだ環境だと言って他の企業などにアピールするのであれば、40年で建替えられたビルを多少省エネではなくとも使い続けるのと、その後は省エネになろうとも恐ろしい建設エネルギーを注ぎ込む事のどちらがどうなのか?という事にも言及して欲しいと感じます。
でも、柱梁は全て工場生産で現場で組まれているようで、そこは日本のゼネコンのトップレベルの技術でしょうし自ら取り組む意義のあった事なのかなと思います。多分こういう技術は海外でとても有効なのかも知れません、つまり現場で職人がやる事が恐ろしく減らせるわけですから。
さておき、久々に作品を拝見した出江寛さん、御年80。トタンの葬儀場は葬祭費を下げるため建設費を安く、と願われ坪40万を切っているそうです。でも建築が貧相では死者に対して失礼だ、という事で瓦屋根にシルバーのトタンの外壁やら。でもさすが老練!という仕事でした。
あと、築75年の木造平屋小学校が解体を免れ改修されたという高野口小学校。調べてみると主要構造はほどんど痛んでいなかったそう、というのが特筆すべき事で、神社仏閣でない普通に使われている大規模木造建築物がこんなに長寿命であり得るという事はクローズアップされて欲しいですね。
簡単に壊せない高層ビルが簡単に壊され、簡単に壊せるはずの木造平屋が残された。
神を登場させるつもりはないけれど、何かもっと大きな意志というものが働かなければこの世界はどうなってしまうのだろう、と思います。
と書いてきて、そうだ先月今月と、去年から?浜松で活動する403architectureが登場していましたが、いやいや若い!というのは置いておいて、「ある都市を主体的に選択して、そこを活動拠点にすることで見えて来る『マテリアルの流動』」という事で資材や人材の動きに注目しているようで、それは近代以降のやり方が面的、画一的だったのに対し、点的、個別的なスタンスなわけですが、神はやっぱり登場しない以上、こういった積み上げこそが良い変化につながるのかもしれません。「まちづくり」というのも本来は全くそれと同じ目的で始まったはずなのですが、活動が大きくなったり大きなお金が動き出すと「面的」なクセが出てしまう、という事をいかに乗り越えるかが大切ですね。
そんな意味で、もっと大きな仕事を早くされるのを楽しみにしてます。
と、僕がセントラルパークに何かしなければと考えるのも問題意識として同じかも知れません。