建築少年たちの夢
是非読んで欲しい本です。
タイトルからお察しの通り、それぞれの建築家が夢をそれぞれに夢を抱き、様々にかたちにしてゆく姿が描かれているのだけど「少年」という言葉のとおり、その夢というのは素朴であったり、若い時の強烈な経験による原風景のようなものだったり、だからこそ強く追い続けられるものですね。
描かれる建築家の中で今をときめく方は分かるとして、石山修武、渡辺豊和、象設計集団が入っていて、若い世代には馴染みは薄いかもしれないけれど、だから逆に読んでみると見つかる事も多いと思います。
もちろんそれぞれ建築家の読み物としても面白いのだけど、布野さんはそれだけを意図しているわけがなく、とりあげる順番などを通して全体として大きなメッセージを伝えようとしているように思いました。
最初は安藤さんですが、他ではほとんどしていないけれど攻撃をしていて、言説が短絡的で作品との間に必然性が無いところはまあ建築をやってる方なら分かると思いますが、でもその短絡的なところが社会には分かりやすいらしく、今じゃすっかり。。。と攻撃したくもなりますよね。
そして、それぞれの建築家の苦悩を曲折など描きながら、最後に磯崎のデミウルゴスを登場させてから、あとがき的に、白井晟一から学んだ事として「実に単純明快、経験する事、考える事、そうした上で建てる事、ではないかと思い至った」と結んでいます。
夢なんて追いかけなければ夢じゃないけれど、でもいくら追いかけても捉える事ができないのも夢。
そして空想ではなく、自らの体でかけずり回って追いかけて来たからこそ若者にまた夢を与えられるような建築家になって来たのだし、この本を読むと自分の夢をもっと膨らませて追い続けてゆく力をもらえると思います。
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多分上の文脈で言うと「経験する事」と「建てる事」を繰り返し、その中で様々なものをぶつける経験はされてきたけど、ちょっと「考える事」が少なかったのかともww。
まあ考える事が強すぎてもいけないんでしょうからバランスですね。
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言説=思想とすれば、「思想は現実とはかかわりなく、思想自体に論理的結晶を遂げる云々・・」と言ったのは司馬遼太郎さんであったと記憶しています。その一致を試みようとしたとしても、政治におけるそれのように、その形態は奇異的なものにならざるを得ないのかも。
安藤さんに限らず、建築は思考と形態にそれほどの必然性がないのは結構自明なのだというのが建築村より外からの一般的な視点かも。
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せっかく返答し甲斐のあるコメントを頂いたと思ったら非公開(^^;)
できるだけ公開でお願いしますね(^^)
僕なんて身元バレバレでも好き勝手書いてますので。
>建築は思考と形態にそれほどの必然性がない
もしそうだとしたら形態の必然性はどこにあるのでしょう?
共有できる言語で組立てた思考を練り上げる事以外にあるとしたら無批判な過去参照か、個人のセンスレベルにならざるを得ないと思うので、やはり「考える事」というのは不可欠だと思います。
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上の非公開コメントは私trsgrではありません。
私信にて非公開としました。
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公開でも良かったのですが、ブログ主様の返す刀に一刀両断されかねない恐れがありましたので(笑)恐る恐る・・
立場を明らかにするのは大切なことですが、立場から自由に思考したい時もありますので、Anonymousで・・
言語(思考)、過去の参照、個人のレベルによるモノ以外に何か形態の根拠となるものを模索したいなと。
ひとつに、エコノミックなもの、資本とそこから導かれる形態がありますよね。マンハッタニズムもそうですね。
これを肯定して乗り越えようという流れがありますよね。
もうひとつが最近見られる感覚的なもの、ゆるい共感のようなものでしょうか。
「そうだよねー」と共有する感覚がそれに代わるのだろうなあって・・。
言語化し得ない共有する何かですね。これは思考もあるけど、身体性のようなものもあるのだろうなあって思っています。言語化し得ない部分があるのに、言語と形態に幸せな一致は困難だろうなと思ったりもします。
>建築は思考と形態にそれほどの必然性がない・・
はこじつけ的な一致としかみれないものが多いねという俗的な立場からの印象です。考えることを否定しているのではないですよ。
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anoneさんこんにちは。お名前はanonymousからですか??
いやいやできたらいつかで良いですが正体を知りたいです(^^)
「一刀両断」にできる程の知識も能力もありませんし、やはりそれぞれの立場と経験でそれぞれに随分違った事を考えているという所が人間の最大の価値だと思っていますので、「一刀両断」とかは嫌いなつもりです(もししていたら叱ってください!)
確かにコールハース(豊雄さんも?)みたいに現状肯定から入るのは一つの手法だとは思いますが、どうも僕は馴染めずに。。。
でも「共感」というのはとてもとても大切だと思います。
ただ、無意識な「共感」というのは実は恐ろしくて戦時中だってある種の「共感」でもって殺し合っていたのですから、それから距離を取って批評的である必要があるのだと思っています。でもそれが良い共感であれば、難しい事なんて何も考えなくてもいいんじゃないかとも思いますけど、そうはいっていなくて。。というか。
また絡んで頂けると嬉しいです(^^)
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うっ長いwww
まっ匿名はOKです!
「首尾一貫」なんて単なる空想で「そもそも」なんて突き詰める程言葉は吃らざるを得ないのに、分かり易く語る人間なんて書かれたように「フリ」でしかない。だから僕は吃る人間の方が信用してしまったり。
聖も俗とコインの裏表ですし大きなものにアンチを叫んだ時点ですでにその大きなものに絡めとられているわけですよね。そういう意味でその大きなものの懐に入らなければというのは言われる通りで。
でも技術も社会も人間のつくったものは作為的(当たり前)であって虚構化が進むしかない代物のように思うのですが、それに対抗できうるのは生身の一回性を宿命とするようなものしか無いんでしょうね。
まあでもいくら虚構の世界が進んだって破綻しなければ何がわるい?いやそもそも人間存在自体虚構じゃないのか?と問われると、それもそうですねえ、と答えざるを得ないような。
と良く分らない事を書いてきている訳ですが、せっかく自分として生まれたのだから、大きな虚構に飲み込まれるよりは自分の内に小さな虚構を磨いて行ったほうが人間らしくていいじゃないかというのが持論です。
お互いの思考訓練として遠慮なく書いてください(^^)
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>そのまんまで良いと思うんですが
そうですかねえ??まあ虚構という言葉も捉え方次第ですが決して意図的につくろうとはしませんので、結果「そのまんま」な僕なのかもしれません。
>なまけもの
というのも喩えでしょうけど、それを言えば蟻さんに比べれば人間すべてなまけものですねw
>コピーライトと断罪
僕も与したくはありませんが、でも「直球」やANDOとかぶりませんかねえ?
2つともう一つ加えると「踏襲」というか。。無批判な繰り返しというものからも常に逃れる意識がないといつのまにか大河に流れる流木みたいになっちゃうので、そうならないためにもやっぱり常に思考する必要があって、その先端には実験的な部分は不可欠なのかなとも思います。