商店街はなぜ滅びるのか

  • 2012.08.15
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サブタイトルの「社会・政治・経済史から探る再生の道」のうち、「史」としてこのように分かりやすく整理されていた書は見かけた事がなかったし、その意味では価値があると思いますが、「再生」というのは当然そんな簡単な事ではなく、良く聞く論を越える目新しいものはなかったと思います。
歴史として、まずは第一次大戦後の長引く不況の中で農村が苦しみ、離農者が都市に向かい、資金が少なくても出来る菓子屋や米屋など小売店がやたらと増えてしまい、物価の乱高下や粗悪品の流通が起き、反動として1918年の富山の米騒動のような事も起こったり消費者側の自衛手段として協同組合が組織されたりもしてきた中で、百貨店が出来、伸びてゆく中で、「横の百貨店」としての専門店の連なりとしての商店街というものができ始めて来た。
次に第二次大戦の総力戦体制の中で酒税等を国が確実に回収するために、その時の個人事業を存続させ、免許制や店舗の距離制限などを実施する事で「地元商店街」が広がった。
戦後の復興の中で、第二次産業の生産性を高めるのが国策だったので、従事人口を増やすわけにゆかず、第三次産業の雇用増を政策として行なったり、零細小売業の保護も行なったが、一方では「消費者主権」としての流通革命の流れの中でダイエーのような大型小売店鋪が増え、オイルショックを乗り越える過程で、それまで重視されてきた自営業者が軽んじられ、企業、雇用者こそが国を担う、という社会に変質してきたが、日本が余りに貿易黒字を増やし過ぎたために、経済の自由化や内需拡大としての公共事業の増大(それまでも十分多かったらしいが)を求められ、実施した。
その公共事業の財源として、財政投融資(郵貯や年金などを原資とした融資」大きく使われる事で、新規整備のしやすい郊外バイパス道路や郊外の事業用地などが沢山つくられ郊外へのアクセスが良くなる一方でバブル崩壊後はその用地は売れず、結果大型店舗になってしまった。
一方で、旧来の酒屋などの商店は長時間営業で安売りの大店舗の存在や店舗と住宅が一体化してしまわざを得ない環境、また後継者が居ない、という理由で続々とコンビにへと変わってしまうが、それは、それまで各種専門店がそれぞれにあるという商店街を根本的に否定することになる。
と、僕の頭の整理のためにダラダラ抜粋したような感じですが、まあ全てが確かな論でないにせよ、時代背景や国策などによって、単純でない所から影響をうけつつ今日があるのだなと、そこはとても興味深かったし、今後を考える上ではやはり知っておかなければならない事だとは思いました。
著者も強調しているように、商店街というのは決して古い歴史や背景を持ったものではなく、近代の時代の流れで、ある種たまたま出来てきたものだ、というのは強く認識しておくべきだなと。
そして、再生に関してですが、基本的に「給付」と「規制」という2つで整理すべきで、「地域に対する規制」を見直す中で、「人々の生きる術を増やす」ことと「地域社会の自立性を取り戻す」という方向性までは示されています。
前者に関しては、雇用者の安定ばかり論じられるけれど、自営者の安定が論ぜられる事が少なく、でも今の国が雇用者を重視する政策にあるからだけであって、やはり自営者の安定を図る事で、「新卒採用」ばかりでない多様な世の中にすべきだ、という事で、後者については、規制緩和とは結局マクロレベルでも成長をもたらしたとは実証されていないし、単に地域の自立を奪っただけではないか?という事だと思います。
本書を読んで、僕なりに感じたのは何しろ「風通し」という言葉です。
元々の商店街は、余りにも風通しが悪すぎた。消費者の立場で本当に必要な店であるために最低限変えるべき事もしていないというか。
でも規制緩和というのは、全ての風を通して、後に何も残らないハリケーンのようなもの?だから、元々風を避けていた商店街はひとたまりもないというか。
商店街にはもっと風を通し、郊外には防風林でもつくって目先事でなく、次世代のために「商業」というものがどうあるべきかを再考するところから始めないとそれこそアマゾンだけが生き残った、なんて事もあるかも??
著者は酒屋からコンビニに変わった家で育ち、個人的にとても色々な思いをしてきたようで、そんな感情が透けて見えるのも、それはそれで興味深かったです。