原っぱと遊園地

  • 2007.10.22
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11/17に浜松で後援会のある青木淳さんの「原っぱと遊園地」です。
以前に読んでいましたが、改めて読み返してみました。

青木さんの考えてられることの全体が理解でき、とても良い本だと思います。
原っぱとは、何かのためにではなく、出来てしまった、でも様々な可能性のある空間。
遊園地は全てが用意され与えられる「いたれりつくせり」でも、他の可能性のない空間
原っぱ的な空間では、行為と空間が対等になり、「その場の質」と云えるものが生み出され得る。
我々は既に「形式」という物事の感じ方、考え方の中に投げ出されていて(それは我々日本人が日本語という環境に投げ出され、それに疑問を感じることが無意味なように)、その「形式」から出る事はできないにせよ、その外側を意識し、近づこうとすることで、無意識のうちにその「形式」に引きずられないようにしなければならない、という事を書かれています。
かなり強くそう意識しない限り(通常の人間はそうですが)、本来は無根拠な様々な「意味」や「価値観」など生きる上での様々な根拠を求めてしまうのです。
「神」で無い限り、無根拠なのですが、どこかに根拠を求めてしまうのが人間存在ですし、全ての人間が無根拠を意識的に受け入れる強さを持てるとは思いませんが、「建築」というのは出来てしまうととても根拠性の強い影響を与えてしまうので、それをつくる我々だけは、その無根拠であることに自覚的にあるべきなんだと思います。
実際私たちがつくる形に、そこまで踏み込んで何かができなくても、上記のことを理解する努力をしてゆかない限り、次の時代に、より暴力的な無根拠を残すことになってしまう気がします。