共生の思想/黒川紀章 再読

  • 2014.08.09
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1987年刊、黒川さんは53歳くらいかな。僕も大学の時に読んだはずだけど、何言ってるか良くわからんがすごい人なんだなーくらいの記憶があるくらいで、でも今読み返すと一通りの事は分かるし、それは違うだろ、みたいなところも多々。まあ僕も20年建築やってますからね。

黒川さんは中高6年、浄土宗系で大半が住職の学校に行っていたらしく、そこが西洋を追いかけ続けてきた日本の建築界の中で異色だったんでしょうし、そこに違和感を感じていたのかもしれないし、学生の頃から図抜けた活躍をしてきた自負心が、最後は都知事選につながり、体を弱らせてしまったのかもしれません。建築家というのは社会的な発言を余りにしなさすぎる中で、この黒川さんとか早逝された宮脇さんとかも、社会とまともに向き合うという事はとても重圧だと分かっているから、多くの建築家たちは目を背けているのかもしれません。

本書に戻すと、ま、東洋思想を元に、西洋がリードして最後モダニズムを生んだ流れを批評して、それを超えられるのがポストモダンであり、江戸のあり方だ、つまり二元論のように、分離したり分類したり比較したり、評価したり、なんて事はできないしそんな事をするから本質からどんどん離れてしまうのだ、というような意味で「共生」という言葉を使っています。

違うたとえをすると、人間でも物質でも全ては、原子や分子とかに分解できて、それをある秩序で組立てると物質もできるし、その組合せで生命体もできているんだよ、というのが科学的発想であり、二元論の立脚点なんでしょうけれど、そんな事したって全体性としての生命体なんて生み出せないのが化学の全体であって、その全体性こそを考えるべきだ、というのがどちらかと東洋的な考え方なのかなと。

そういう意味で、モダニズムを思い返してみると、本書でもミースを批判してますが、ミースは至って全体性を重視していたし、コルビジェも、他の名作と言われるものはそうだったと思うのですが、それを分析的に、パーツとして整理してしまったからそれ以降のモダニズムと言われるものが黒川さんに言わせればダメなものになってしまったのではないかなと思います。

最近は、こういう大所高所から建築家が語るのは流行遅れ?らしいけど、いやだからこそ、今の若い皆さんにも読んで欲しいし、そう思うから、久々に読んでみました。でも、こういう自意識過剰的な考え方は現代求められていないと思っているのか?でもこういう自意識過剰な部分があって初めて全体性について考え、語り、大きな動きに変えてゆけると思うので、またこういう(表紙に腕組みして載っちゃうような)建築家が出現して欲しいものだとも思います。