代表的日本人

  • 2012.03.03
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内村鑑三。1908年出版(実際はその13年前に出たものの再販のよう)。「わが国民の持つ長所ー私どもにあるとされがちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のものーを外の世界に知らせる一助となる」ために外国語で書かれた。
ここで『無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別の』と敢えて書かれているのですが、第二次大戦の後ではそのような表現を良くされたように思うけれど実際その50年前からもそう捉えられていたのだ、と改めて思いましたが、それは本論ではないですね。
西郷隆盛ー新日本の創設者。上杉鷹山ー封建領主。二宮尊徳ー農民聖者。中江藤樹ー村の先生。日蓮上人ー仏僧。の5人を、「サムライのなかでもっとも卑小なる者、イエスキリストに従う者の中でもっとも卑小なる者」としての内村が「、あさに一人のサムライの子として、私にふさわしい精神は自尊と独立であり、狡猾な駆け引き、裏表のある不誠実は憎悪すべきものであります」という気持で語っています。
5人についてはご興味あればお調べ頂くとして、でもお恥ずかしながら余り知らなかったなあと。。でもそれぞれ本当に今の日本というか我々を形づくっているのは彼らだと思える程の大きな人生だったと興味深く読みました。
内村の書いた「自尊と独立」というのは「自由と平等」というのとは全く違う価値観じゃないかと思いました。つまり自由と平等、というのは「個人」という単位があっての「自由と平等」であり、結果利己主義的な現代につながってしまっていて、一方の自尊と独立、は、個人ではなくもう少し大きな単位、家族や村、そして国家という集団として考えられていたように思いますし、だからこの5人は利己主義からもっとも遠くにいる人間だった、と言えるようにも思いました。
内村はキリスト教に強く帰依しながらも「近代キリスト教が公言してはばからないもう一つの律法『金銭は力なり』に対して、サムライの子であるからには毅然として意義を唱える」と書いています。
しかし日本人ももうその律法に染まり過ぎて、日本人の持っていた「金銭に対する執着は諸悪の根源なり」という精神は全く失われてしまったのでしょうか。
でもこんな時代だからこそ、その精神を持ち続ける事で日本人が消え失せないでいられるように思います。もちろん国が滅びるとか人種としていなくなるなんて意味ではないですよ。