長谷守保 建築計画

ニーチェbyドゥルーズ

大学時代に買って(多分全部読んでない)を再読しましたが、もちろん簡単ではないですが変なニーチェ本を読むよりは何か感じられるように思います。今じゃ文庫本で安いですし、どうぞ。
今では良く知られるところですが、ソクラテス以降は「形而上学」つまり「本質と外観の対立、真と虚偽との、可知的と可感的との対立」で世界を区別する時代になってしまい、「生の新たな可能性」を作り出す事ができなくなってしまった。
その可能性を取り戻すための、ニーチェの言う「超人」なのですが、やっぱり常に既にその形而上学の世界に投げ込まれてしまう人間にとってはなかなか超人への道のりは困難なもしくは不可能ものだなあと、改めて感じますが、ニーチェの下記の文章には考えさせられました
「猿とは人間にとってなにか?嘲笑の的、あるいは苦痛に満ちた恥辱の種である。超人にとって人間とは、まさにこうしたものとなろう。嘲笑の的であり、苦痛に満ちた恥辱の種であろう。
あなた方は虫から人間へと道をたどってきた。だがあなたがたの内にはまだ無数の虫がうごめいている。かつてあなたがたは猿であった。そして今現在も、人間はどんな猿に比べてもそれ以上に猿である。」
超人についてこのような具体性の言葉は他に少ないと思うのでどこまで真意か分かりませんけど、なんだかこれを読んだら、もしかしていつか人間は超人になってゆくのかもしれないと妄想しました。
動物の進化(という言葉は好きではないですが)はやはり何かの必要を種の内に溜め込んだ結果の変化なんじゃないかと思うので、もし人類が形而上学の足かせを苦痛に,恥辱に思い続けるのであれば、もしかしてあり得る事なのかもしれないと。
まあ少なくとも恥辱には思うべき事柄だという事は認識すべきでしょうね。
とか言いながら、昨晩ウッディアレンの映画を見て、やっぱり情熱的に楽しく生きないとなあ、なんてあまりに人間的な事を感じていました。笑

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1件のコメント

  • 2011-03-08 @ 6:32 PM
    Moriyasu_Hase

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    薔薇の名前の話は面白いですね。読んでいないので微妙なところは分かりませんが、でも、キリスト教徒は超人にとってはかなり嘲笑に値する猿なわけで、でも教側はそれを否定しつつも実は無意識の内でそれを知っていたから、とも読めるでしょうか。

    ドゥルーズ語れはしませんが、絶望は感じはしなくとも生な人間と向き合いながら限界は感じたのかもしれないですね。

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On 3月 2, 2011
by hase
in みるーよむーかんがえる

1 Comment

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