よみがえる縄文の女神

  • 2014.08.11
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先日新聞にこの国宝となった土偶「縄文の女神」が載っていいて、この信じられないほどの美しさがなぜ生まれたのかに興味が沸きました。

それでこの本を注文してみたのですが、決してこの縄文の女神の本ではなく、広く縄文文化や土偶というものがいかに生まれ、今の私たちにつながっているのかを論じた本でしたが、もちろんそここそ興味があるところでしたので面白かったです。

たまに耳にする事ですが、日本というのは弥生文化がルーツであり、縄文時代はその前の単に未成熟なものだと思われてしまっていますし、本書にもありましたがゆとり教育が始まった頃、小学生の教科書から縄文時代が削除され、その後抗議などがあって復活はしたようですが、やはり扱いはそんな感じですが、本当は日本人のルーツの多くは縄文だと言っていいという少数派意見に僕も賛成しています。

さて、「土偶」とは何だったのか?基本的には女性であり、多くは子を宿しお腹が大きくなった像であり、でも何故か人間を模しているというより意図的なデフォルメがなされており、これは初耳でしたが、多くはわざと、破壊されてきちんと埋葬されていたようです。また、これも知りませんでしたが、貝塚って決して廃棄の場ではなく、人間も埋葬されたそうで、土偶の件も合わせて考えると、つまりいわゆる「輪廻」を信じていたから、子を宿すという事にとても神秘的な想いをもち、死んでもまた生まれ変わってくると信じるからこそ、それを土偶に託し、貝殻も人間も祈りの中で生まれ、死んで、また生まれ変わってくる、というか、もちろん狩猟民族だった彼らにとっては食料となる動植物たちも、生まれ変わってもらわなければ生きてゆけないから、輪廻を自然と信じたのではないかと思います。

と、ここまではある程度分かっていた事ですが、僕にとって役に立つ発見として。

「コーカソイド(白色人種)の世界における神話、たとえばギリシャ、ローマ神話は、神々の恋の物語ばかりで」「それに対して、モンゴロイド(黄色人種)の神話に出て来るのは太陽神や地母神的な神で、実に多様な神が登場し、聖なる動物が人間と交感するなど、どことなく懐の深い母親のイメージが強い」また、河合隼雄などが指摘しているように「西欧が父性原理に貫かれているのに対し、日本社会は母性原理による」というのは間違いのない事ですよね。

だから僕たちは「母なる大地」という言葉を使いますが、良く知りませんが西欧では決してその概念さえないんじゃないかと思いますし、大地というのは人間の理性でもって管理して、そして作物ができる、くらいに思っているんじゃないかと思いますし、それが既に世界を席巻してしまっている、合理主義思考や大きくなり過ぎてしまっている経済至上主義の根っこなんでしょうし、建築の世界もすっかりそれに毒されて?いるのだと思いますので、「母性の建築」というか、元々日本やアジアではそうだったと思うのですが、建築に母性を取り戻さないといけない、というのを改めて思いましたし、無意識でやってきている事とも重なる事だとも思っています。

まあ、大学教育や社会システム自体が父性なんだから、母性って、個々人が気付いた範囲で取組むしかないという弱い存在と言えますが、だからこそ母性を取り戻す努力をもっとしなければ、僕たちの心は荒んでゆく一方じゃないかなんて思います。

でもなんで、こんな美しい造形ができたんだろう?

しばらく前の「神々の沈黙」を読んだときから思っているのは、この造形も間違ってもある個人の創作物なんかではなく、神の声がつくらせたからこそ、美しいんだろうな。でも神の声なんていうと怪しげですが、神は自然であり、つまりは自然に真摯に向き合う人間が感じられる本質なんだろうな。と思います。