建築に何が可能か
1967年出版。原さん30才過ぎかあ。
読むべき書として思ってたのですが貴重書で買い控えてましたが6000円程で買いました。
何しろタイトルが大切なのですが、人間も建築も「何か」を問う事は不毛でしかなく、我々の行動の指針としては「何ができるか」を問わないといけない。という理由が分かれば、まあ難しい話は半分読み流しても価値があるのだと思います。
読みながら付箋を張り出したら付箋だらけになり、こんなもの引用してまとめられる程簡単じゃないし、誤解を恐れず分かり易く自分の言葉にしてみましょう。
例えば、ケータイにとは何か?なんてのは変わり続け、何が出来るかも日進月歩なように、人間や建築という存在さえも、新しく現れたさまざまなものによって変質し続けるので、現在のケータイが何かをある程度描く事はできて人間も同様かもしれないけれど、根本的に、変わらぬものとして「何か」と問うたり求めたりする事は不毛だ。という事だと思います。
ただ、「少ない体験から豊かな意味を発見し、育ててゆく生活態度は、多様な体験を生のまま記憶して重ねてゆく態度に移行しようと」半世紀近くも前からしていて、現在はさらに進み、本当は人間も、建築も、より良く変質し続ける事にこそ価値があるのにその多様さを傍観するような態度は多様さを育てるという態度は真逆のものなのである。
例えば建築ではミースの均質空間(ガラス張りで等間隔に柱が立ちどこでも同じように使える)が一世風靡して結果どこも似たような都市になってしまっているが、それはあくまで多様さの中のひとつの良い回答であっただけで、それに盲従してしまった、というのが上記の態度の現れといえるのだと思います。また「形態は機能に従う」という有名な言葉であたかも客観的にデザインが進められるかのように思い込まされていたけれど、使い易さや用途などと言ったものも所詮は確実なものではなくある個人や社会の中で意図的に決められているだけのものであるから、客観的(つまりには唯一の正答があるかのような)ものとは決してなり得なかったのです。
そこで、建築はいかに生み出されるべきか?「建築が時代の本質であるダイナミズム=運動を表現せねばならないというわけではなく、いま計画しようとしている生活の本質的な理解は、必ずダイナミズムを抽出するがえに、建築は必然的に、結果としてダイナミズムを表現する」
以上のような話の上に、原さんの建築論として「有孔体の理論」があるのだけど、どうも読みながら実感として理解しにくいところもあって、僕はついつい生命体に置かえて考えてしまうところがあるのですが、つまりや細胞という単位に形があり役割があり、それが置かれた状況(体液内とか)でお互いに必要なやり方で必要に応じてつながりやりとりをして、更に大きな単位として臓器やらができ、それらも同様につながり、人体を形成し、同様に、家族や社会。。。という事に読み替えてもよいように思う(そう書いてはないのでお聞きしてみたいけど多分違うといわれるだろうな)。でも、「形態的にはカオスで、機能的にはコスモスである集団が本来の有孔体の集団である」というのも生命体そのものの気もするし、「我々が目指している世界は、変化の世界であり、、静止している状態を本来の姿ととらえる世界像ではなく、変化が本質の姿であると考える」というのも、例えば人でも動物でも子供の成長過程、というのは常に新しい環境や刺激に対して敢えて飛び込んで行ったりしながら常に行きてゆくための変化を続けるのであり、長い時間での進化をとっても同様なダイナミズムを持っていると思ったりもします。
ただ、問題は動物は外から変化が常に与えられるのに対し、人間は自ら変化を遮断しようとするので、いかにその変化をつくり出すか?
「シュールレアリズムの美学は、論理的には把握できそうもない関係の関係づけを表現の世界でやってのけて、ありそうもない事象を日常化してしまう事、つまり新たな関係づけを成立させる事を企てた」という辺りにヒントがあるのでしょうね。
さて、自分のやっている事と断絶させたままではいけないので。。
つまりは好きだから、日本だから、という理由で杉と漆喰を繰り返しちゃあいかん、という事なんですよね。
もちろん他の可能性も可能な限り排除せず比較検討を尽した結果ならよくて、それは素材に限らずプランや形態もという。
でも僕としては、最近建築をつくりながら生命体をつくっている意識をもっているんですが、物理的な空気や光などだけじゃなくて、建物があたかも意志を持つように有孔的、つまり開いたり閉じたり(建具の開け閉めとかいう現実的なレベルでなく)するものが作れたら良いし、結果、うまく使われ、長く使われてくれるのではないかな、とは思ってます。
と、現実はいろいろと大変ですが、だからこそ、常に壊しながら進む、という決意が必要なんでしょうね。疲れちゃいそうですねw
東北へ。2
翌朝はまず中尊寺金色堂へ。
まあ連休だし世界遺産だし混雑は想定していましたが、見ておかなければ、というところで。
この中の金色堂自体はそれほど、、でしたがその中の仏像たちはさすが素晴らしいもので迫って来る何かを感じました。金色堂も内部のライトアップがない(もちろん昔はないので)状態で見れば、きっとつくった意図が感じられるんだと思いますが。。まあ観光地ですね^^;
途中で盛岡寄って少し観光をして、宿泊地の十和田湖の十和田ホテルまで。
まずは標高く登ってゆくまで沢山の滝があるようなところで運転は大変でしたが今まで湖としては見た事がないような、湖畔が切立っていて人が近づけないのでほとんど見渡す限り自然のままでした。また昭和13年に出来たらしくこの本館は木造3階なのですが改修はしているそうですがとても状態がよく、宮大工と巨木を集めてつくったからでしょう。部屋の中の柱は全て杉の芯去で(うちの材より良いw)、やっぱりなあと感心しました。芯持材しか知らない木造の設計者は一度行ってみて下さいw
最終日の朝は、十和田市現代美術館(西沢立衛設計)へ。
市長がアートのまちにする!と英断でつくったものだったと思いますが、まあ良い結果のように感じました。金沢程まちも大きくないので比較はできませんが周囲への良い波及もしているようでしたし。もちろん西沢さんなのでさすがに良い建築ですが、展示室をバラまいた隙間の外部空間が、雑誌に載った時も感じましたが何となく中途半端で生きていないと感じたのが残念でした。
次に弘前へ。
青森は今が桜の見頃で弘前城は桜祭りでとても賑わっていました。小さいけれど木造の名城なのと広くて場所も良くて入りやすいのでとても生きた場所だと思いました。浜松城はコンクリートだし、高低差があって見通しも悪く近づきにくいし、比較すると残念だなあとつくづく思いました。また隣接して前川國男設計の市庁舎などがいくつもあり、改修中も含め築50年程のものがきちんと使われていたのもとても印象的でした。
その後前川さんの代表作のひとつとも言われる弘前市斎場へゆきましたが、見学が出来ない時間で少し中をのぞくしか出来ず残念でしたが、土門拳記念館と同じ質を感じました。つまり自然の中でそれに勝つでも負けるでも紛れるでも目立つでもなく、建築としての強さをきちんともっていながら、というか持っているからこそ自然にそこに存在している感じ、というような。
そして、もちろん?青森県立美術館(青木淳設計)へ。
ここの本質はたぶん内部にあるので、といっても展示室はあまり撮れないので、これで。僕なりの解釈では、つまり地上に白い箱の展示室をただ並べるという美術館が逃れられなかった方法論を、隣にある三大丸山遺跡の溝状の遺構(トレンチ)をモチーフに、そのトレンチが展示用に転用されている、という風にしたかったのではないかと思うのですが、それはうまく実現できていたと思いますし、その結果、いわゆる展示室だったら間延びしてしまいそうな巨大な空間がとても引き締まって見えました。
と、一般の方にはどうでも良いような事ですが、設計側にとってはとても大切な事を実現されたんだと思います。
ついでに遺跡と、棟方志功記念館に寄ってきましたが、やはり東北という地は表には見えないけど秘めた情念のようなものを持っているように感じましたし、「日本の深層」にあったようにそれは縄文文化に由来するように感じました。そしてやはり同じ日本でも本当に風景も人々の営みも違うなあと感じ、道州制じゃないけど、やっぱり地域ごとに特色を反映しながら政治もしなければいけないんじゃないかとも感じました。
1200キロレンタカーで走り回り、青森から新幹線で帰途に。まあ無理な計画でしたが、概ね達成もでき大きな満足感(と疲労)を持ち帰りましたw
またこの場を借りて、こんな訳の分からない旅行に文句ひとつなく同行してくれた相方に感謝です。
東北へ。1
この連休に、余り行っていなかった東北の奥へ、少し前に読んだ「日本の深層」に触発されたのもあって行って来ました。
まずは郡山まで新幹線で行ったので、郡山市美術館(柳澤孝彦設計-1994)へ。
大学を卒業した頃雑誌で発表された時は、すごく良く出来ているなあと感心して参照したりもしたのですが、行ってみて、お金を随分ムダ遣いしたなあと、立派なんだけどムダな立派さだなあと感じました。バブル期に計画されたからというのが大きな理由なんでしょうけれど、またもう少しアクセスが良かったりで来場があれば良いのでしょうけれど、連休なのに閑散として年配の方しか来ていなくて、という感じでした。
次は会津若松のさざえ堂へ。
二重らせんの斜路で一方通行で登って降りるという不思議な構成で、以前は観音さまを安置していたそうですが、まあ不思議なものをつくったというか、こんな建築は世界にも類を見ないようです。
その晩は米沢の西屋という母屋は築200年本館は築80年という旅館にに泊りましたがいわゆる秘湯ってので、行くのも大変でしたが良い温泉で料理も美味しく、なかなかおすすめです。
翌日は、まず、震災後やっと被災地へという事でこれは女川です。
コンクリート造のビルが津波で3つ程倒れたままになっているのですが、雑誌等では見ていましたが改めて衝撃的でした。そして改めて思うのは、被災された方々は本当にお気の毒ですが、数百年という周期でこのような津波が来ていたわけですし、やはりそれを知りながらこの場所に住んでいたという事はある種の自己責任もあるだろうということと、またこの地面から5M近くも土を盛って道路が計画されていましたが、費用対効果も考えた上で、本当にそれでよいのか?というのが被災者たちへの遠慮があって本質的に議論がなされていないだろうことへの危惧を感じました。
その後、東北を横断して酒田市の土門拳記念館へ(無茶ですから真似しないで下さい^^;)
しばらく前に高宮さんのお話を聞いたこともあり、いつか行ってみたかったのですが、谷口建築は元々派手さはありませんがその中でも特に抑制された、なんとも大人な建築だったのですが、谷口さんの中でも一番好きかもしれません。あと土門拳の写真も「古寺巡礼」シリーズが圧巻で、重たい写真集を買って来てしまいましたが、無理して行って良かった。建築も決して大きくなく、最初の郡山みたいな間が抜けた感じがなく、良い感じで賑わっていて、それも総合して目指すべき名建築だと思います。
いくつか見たい古建築をスキップせざるを得ないなかで、何とか行けた羽黒山山神合祭殿。
着が遅かったのとなかなかの山奥にあるため、この辺りには来場者は他にはいなかったので、そしてこの高さ28mの茅葺の祭殿や周囲にも神社等が散在し、とても神秘的というのか少し恐いくらいという初めての経験をしました。ただ、伊勢も出雲も今では観光地的なのに対し、本来神社ってこうあるべきなんだろうと思います。
と、遅くに宿にたどり着き休みました。
高宮眞介講演会
近くにある茶室、松韻亭の設計者、谷口吉生さんは講演嫌いだから、という事でずっと一緒に設計して来られた高宮さんが松韻亭で講演をされました。
僕は谷口作品は概ね好きなのと、高宮さんのお話もケヴィン・リンチやノルベルグ・シュルツに触れながら「場所」を論じられていたので個人的にはとても面白く共感しました。
ご自分でも言ってられたけれど、思い切りモダニズムの中で育ったので基本はモダンであるというのは建築の表現を見ればわかるとして、リンチやシュルツの名前が出て来たので、改めてモダンという存在を再考してみたくなりました。
谷口作品のある種のストイックさというのは、ミースのそれと通底していると感じますし、谷口さんの寡黙さ(講演嫌いも含めた)というのも似ているように思うのですが、それは表現レベルの話であり、構成レベルの話でいえば、高宮さんのお話も「建築の風景と場所性について」というタイトルだったように、モダニズムがその後批評されるようになるような、「空から降りて来たような」つまり世界中どこに建とうが変わらないスタイルとしてのモダン、とは基本スタンスは違うと言えるとは思いますが、ただ、そんな風に空から降りて来たようなものをつくろうとした建築家というのが、モダンという範疇でどれだけ実際居たかというと、かなり少数ではなかったかと思います。
高宮さんもご自分で、もう昔の人間だし若い方には興味ないかもしれませんが、的な事を言われていましたが、モダンというものから僕たちは今後の世代も逃れられないと思いますし、乗り越えるとしても全く違うものにはならないのではないかと思いますし、それも、モダニズムというものに改めて十分向かい合わなければできないと思うのだけど、今の時代は、価値観などが余りに多様化しというか、消費され,すぐに流れていってしまっているように見え、「向かい合う」ゆとりも失ってしまっているように感じます。
だからこそ、「風景」や「場所」という根源的なものをベースにおきつつ、ストイックに表現してゆくあり方というのは今後も評価され続けると思いますし、僕も基本的にはそうありたいと思っています。
こじんまりした会でしたが、こういうお話を、お茶室で聞けたというのはなかなか趣があり、良かったと思います。
ついでに鳥取へ
大分通いも終わりに近いですが、今回は鳥取へ。
まずは何とか夜中に米子にたどり着き。
菊竹さん設計の東光園/1964に泊りました。増築されていて客室は面影はないと思うのですが外観やフロント辺りは当初のまま(痛みも結構ありましたが)で強い構築性がとても迫力がありましたし建築的には名作と言われる通りだと思う一方、単価の安い温泉宿扱いになってしまっている現状を見ると、保存問題でいつも感じる、建築の専門家と一般人の価値観の乖離を思わずにはいられませんでした。
翌朝同じく菊竹さんの米子公会堂/1958に行きましたが改修工事中で、解体か保存かで揺れていて保存と決まったって読んだ?なあと。でも築55年で保存と決まったというのは日本ではなかなか無い事だしそれも建築に込められた設計者の意志があってこそだろうなと思います。
次は高松伸びさん設計の植田正治写真美術館/1995ですが、展示室をつなぐ場所から近くの美しい大山をこのように切り取るという構成(このスリットが3つある櫛形の平面)はとても単純だけど良く考えられた、そして良い建築だと思いましたが、何しろアクセスが悪くタクシーの運転手とも話したのですが客も少なく財政負担も大きいようで、はがれかけた舗装が放置されていたりと悲しく思いました。やはり芸術家などの個人美術館というのは「記念」でつくられるので採算が軽視されているので全国各地にもこんな寂れかけた美術館があるなあと、でも考え直さないといけないなあと思います。
松江に移りまた高松さんのくにびきメッセ/1993ですが、思いのほか良かったですw.。先ほどの美術館もですが、かつてのバブルの象徴のような高松作品は嫌いででしたが、ここもかなり大きな施設なので抑えるべきところは抑えなければいけないので、表現も適度に抑えられ、それがちょうど良かったし、さすがにデザインやディテールは上手だなと思いました。
松江城にも行き、周辺の環境も含め、僕は城というなんだか攻撃的な建物は好きではなかったのですが、ここはとても優しく、この写真のように裏には古い街並やぐるりとお堀があり観光用の船がぐるぐる回っていたりと、お城では始めて良いなと思いました。熊本も良かったけれどちょっとオーバースケールだったかな。
ほど近くにある菊竹さんの田部美術館/1979。コルテン鋼の屋根がなんだか茅葺きのような素朴な印象で(それを狙ったのかは??)その大屋根の下に立体的に展示室が配置されている、まあ大人しいけれど良い建築でした。屋根の可能性もまだいろいろあるなあと。。
最後は出雲大社です。まあ場所柄若い女性が多かった中に中年男が1人でw。
大社のほうはさておき、菊竹さんの出雲大社庁の舎/1963名作と評されてきたので今回の一番の目的だったりしましたが、実物は思ったより装飾性が強い(妻面だけですが)のと、コンクリートルーバーも随分薄汚れてきてはいても、この恐ろしく歴史的に重たい建築群の中できちんと建ち続けているという、それもコンクリートの近代建築で、というのは、菊竹さんや丹下さんくらいしかできないんじゃないかなと思いましたし、それは構築的な強さであり、象徴性であり、そして一番大切なのはやはりある強い美意識に基づいてつくられたかどうか?なのではないかと思いましたし、それこそ建築に最も大切で、でも現代建築に失われてしまっているものじゃないかな?と思いました。
と、1日かけずって帰途につきましたが、他にもいくつか見ましたが菊竹、高松作品ばかりですね。
あさば旅館
最初に行ったのは6年程前かな。その頃漠然と、自分が設計している住宅のが持つ「質」(といっても決して品質という意味ではないです)が目指すべきものについて悩んでいたのもあったのか、その目指す「質」をここで感じ、その後その「質」をある面追求してきているつもりなので、ここは僕にとってひとつの原点だと思っています。
という事もあって久々に泊って来ました。
以前は30室くらいあったのを、ゆったりとした17室へと改修したそうで、能舞台があり山というか崖というかに囲まれてとても落着きながらも散漫としない何か強さをもった場所で、古い建物の風格と改修した部分も野暮ったくならないようにとても配慮されているので、、、と言葉ではなかなか伝わりにくいと思いますが。。
つまり感じたその「質」というのは、しばらくそこで何もしなくても心地よくボーッとしていられる、という単純な事なのですが、実はそれがなかなか出来ていなくて、そんなのは高級リゾートの特権だと諦められているように思うんですが、ちょっときちんと設計してつくれば多少ささやかながらもそれが実現できるし、毎日の生活の中でもそんな質をふと感じられるというのは心身共にとても大切な事だと思っています。
で、それを特に実践したつもりなのが自宅ですw
つまり、あさばに負けないぞ!と設計した部分もあり、、思い通りになったところもあれば、今回改めて訪れてみて、まあこりゃ敵わんな、という部分もありました。
調べて頂ければ分かりますが、来易く泊れる値段ではないので、サービス含め良いに決まっている、といえばそれっきりですが、僕としては変な高級ホテルや、近場の海外で遊んでくるくらいならゆったりとこういう所で過ごす方が価値があると思っています(人それぞれですよね)
住宅も旅館的な良さを持つべきだしというか、基本的に建築は全てつながっているべきでというか、何かの為だけにつくられた建築なんて味気ないし人の感覚というのは幅広いものなのでどの建築もそのような「質」は併せ持つべきだし、それがベースであるべきだとも思っています。
というわけで、すっかり新年明けてから日が経ちましたが、今年もがんばりたいと思います。
大分の上棟から長崎へ
大分の住宅が上棟でした。例?の水上地鎮祭から3ヶ月。工期はあるので結局木造はプレカットでなく手加工でやって頂いていいます。予算と工期さえあれば今でも出来る大工(というか加工場もないとダメ)も多少はいるのですが、そのどちらの面でもなかなか採用できず、結果出来る大工もより減ってしまうという悪循環をなんとかしたいとの思いもあるので、嬉しいことです。やって頂いている工務店さんも社長がもともと大工なので営業や利益よりより良いものをつくりたいというのが第一なようで、話していてもとても楽しいし勉強になります。進捗はまたアップします。
で、今回の一足延ばして,は長崎にしよう!と思ったものの実は大分からはそれなりに遠く、上棟式後電車に飛び乗り、着も随分遅くなってしまいましたが、ホテルも古いけれど雰囲気の良いホテルで良かったです。
起きてまずは近くのグラバー園へ。この旧グラバー邸は1863年に建てられたそうですが、彼は21歳の開港と同時に来日しグラバー商会を設立したそうですが、そう、長崎ってそんな新しい文化が生まれ育ったところでもあり、また電車で行くと到着地(次の都市がない)なんですね。浜松なんて単なる通過地点というか、だから交通の便が良いから産業は発達するものの、どこにでもある街並みになってしまっている事と対比すると、この長崎がとても興味深く思えました。
長崎孔子廟中国歴代博物館、ですが最初笑えそうになったというか、この写真見て頂ければ分かると思いますがw
でもこれは1893年に建てられたそうで良く見ればとても良く出来ているし、展示されていた品々も素晴らしかったし、当たり前だけど中国の歴史の重たさを実感させられました。
長崎港の向こうに長崎県美術館。入りましたがいつものように隈さん(と日本設計の設計ですが)の軽薄な建築は好きになれないので行かなければいいのにと言われそうですが沢山されていて有るから仕方ないのですw石のルーバー、、、どう考えても必然性が感じられない。石でルーバーをつくるなんて。
でもこの港周りは高松伸さんなどのフェリーターミナルもありというかイベントをやっていたりジョギングをしていたりとても良い場所でした。
親和銀行大波止支店1963年白井晟一設計。質素な目立たない建築ですが白井さんらしさは感じられます。庇と円弧を描いた高層部分の離し方とかボリュームとか、簡単に真似のできないことです。
よっそぅと読むそうで創業140年だったっかな、元祖茶碗蒸しらしくあと蒸し寿司とのセットです。上品で美味しかったしなによりそんな歴史があることを羨ましく思います。と珍しく食ネタで。
平和公園から原爆資料館に入り、展示を見ながら1人旅だから尚更ですが、色んな事を考えていました。そしてそれから原爆死没者追悼平和祈念館、栗生明設計、に入ったのですが、とても残念でした。
まず施設内が分かりにくく守衛さん?が来場者にルート案内などしているのだけど本来静かな気持で追悼の念を感じるため(それだけが目的のはず)なのに守衛さんがぶっきらぼうに案内なんてしていたらどうなんでしょう?あと本来一番大切な静寂な精神性を感じさせる建築かどうか?という意味でも残念ながら全くダメでした。というかそれができていないならこの施設は不要ですよね?図書館のデザインが悪いとかはまあ仕方ないとしてもここは追悼の念を起こさせないのなら本がない図書館と同じだと思うのです。
二十六聖人殉教記念館1962年今井兼次設計。隣のガウディ風の聖堂はそれほど惹かれませんでしたが、この記念館の内部、これは本当に良かった(撮影禁止なのでアップはしません。え??)名前の通りのキリスト教の苦難の歴史や人々を伝える施設ですがキリスト教云々よりも、広い意味での信心というものの重たさや大切さを感じるには十分でしたし、そのための建築としてはとても質素なんだけどまだ100年経っても価値を保ち続ける建築だと、とても良かったです。
ラストは親和銀行本店1967年-白井晟一設計。長崎市から佐世保まで結構あるのですが、これは必ず見ておかねばという事で朝から歩き回って時間を無理矢理つくった感じですが、もちろん写真では何度も見てはいてもわざわざ行って本当に良かったと思いました。この反対面はアーケードで実はそちら側のファサード(全く違う意匠です)は良く見えないのはそれこそアーケードを撤去して欲しい!と思うくらいですしご覧の通りこちらも電線やらですが、この存在の強さは全く動じないように見えます。恐らく現代建築たちだったらすぐに動じているところだと。
白井さん、何がどう凄いんだろう?建築の本流とは全く違った、哲学や内面から生まれている彼の意匠というのは、つまり歴史や流行りや機能や、そんな様々な普通だと囚われてしまうものから自由であり、でもそれだと現代建築でもそこまでは満たすものはそれなりにあるように思われるけれど何かが大きく違う。何だろう??と考えて、更にもうひとつ未来というかこれからの時間の経過から自由だ、というか逆に言うと現代建築は今後の時間のながれの中で汚れ、割れ、朽ちてゆく様が見えてしまうけれど白井建築にはピラミッド(もちろん朽ちて行ってはいるけど)が持っているような遠い未来に対しての強度どいうのも併せ持っている、そこが大きな違いなのではないかと改めて感じました。
また、長崎という都市は山と海に囲まれ、こじんまりとした場所(というか平地が少ない)にそんな深い歴史や自然が沢山あり、交通的にも端っこにある不便さが良い方に働いて、とても好きな場所でした。一言で現すと「親密」というか、様々な要素があるんだけど大都市のような冷たさではなく、喩えると小さい部屋に色んなキャラの親戚一同が集まって、それもおじいちゃんが外国人、みたいなw。良くわからんか。。
というわけで足腰が痛いですw
長崎土産はクジラのベーコン、さえずり、すえひろのブロック。ちょっと楽しみです。
大分帰りに。
大分の現場の配筋検査(来月上棟です)帰りになかなか行けない、行かないところに行って来ました。
まずは池原義郎設計、北九州プリンス(現クラウンパレス)-1989年に泊りました。
まず窓の右に換気小窓がついてますが、正面のガラスをFIXできれいに切り取りながら気軽に風が入れられるので良いですよね。あと下に見えるのは教会でしょうけれど、池原さんらしい繊細なスチールワークでした。
ただ全国的に良く見かけると思いますが、多少交通の便が悪かったりして、相場がその辺りのビジネスホテル並みなのでサービスもそれなりになってしまっているという感じでした。安いから良いけど。。
石井和紘設計、北九州国際村交流センター-1993年。通りがかりに外観だけでしたしまあ最近名前も聞きませんが、、、でも決して新しくないのに新しく見えましたから、構成もデザインなども優れているという事だと思いました。
村野藤吾設計、旧八幡信用金庫-1971年。余り取り上げられる事はない作品ですが、さすが村野建築(まあ僕好きだから)がっかりさせません。でも村野さんの造形って本当に変幻自在というか、「スタイル」から逃れるというか全く意に介していないのがすごいところですね。
磯崎新設計。北九州立美術館-1974年。このあたりはかつては製鉄で恐ろしく賑わっていたそうで、それを見下ろす岡の上に力強くはね出しています。まあ磯崎さんの造形について触れてはいられないのですが、でもこの内部の写真の左右がこの跳ね出した展示室で、つまり2本の長い展示室を並行させているのですが機能的にも内部空間としてもとても上手く出来ていると思います。
でも40年近く経っていることを感じさせないのはこの構成の力強さに依るところが大きいのだと思います。
浜松の美術館は40年で(途中ろくな改修もせず)建替えるそうですがね。。
同じく磯崎さん。北九州立中央図書館-1974年。これも思ったよりずっと良かった。というか朝からとても利用されていたのもあるけど、この円筒屋根が曲がりながら連続する下にそれぞれの機能が納まることでシームレスな感じというか、、つい歩いてみたくなるというか、でもその歩いてみたくなる、というのは図書館にはとても大切な室だなと改めて思いました。
最近うちに本が積まれてしまい図書館に行かないのだけどたまには行きたいなと思いました^^;
村野藤吾設計、宇部市渡辺翁記念会館-1937年。実はこれが一番の目的でしたが、雨がひどくなり、入口に長蛇の列がと思ったら、東国原英夫講演会とあるではwwwお陰でふらりと中へ入ることもできず。。
でも築75年!デザインだって今なされてたとしても全く旧くない。やっぱりスタイルに乗るから旧くなるわけで、、というのを実感しますし、というかそれを自分の中に強く刻むために来たようなものです。
宮崎浩設計。中原中也記念館-1993年。これは少しがっかりでした。宮崎さんは槇事務所出身でとても繊細にやれる方だと思いますが、この規模と打ち放しというのがいけないのか。。新築時はまた違ったんでしょうけど繊細さは感じられませんでした。。今回見た他の建築たちが時間に抗う強さを感じさせてくれたので対照的で、それはそれで良い教訓にはなりましたけれど。。
でもこういう個人作家のための○○館がどんどん出来ますが、そのうちどうするつもりなんでしょうねえ。。中原中也でさえ決して来客が多いようには見えなかったですし。
ラストです。鬼頭梓設計。山口県立美術館-1979年。ついたのが17時過ぎで閉館時間でしたがお願いして無理矢理入れて貰いましたw。ので決してゆっくりできませんでしたし既に疲れが。。ですが、内部は最近改修したそうでとてもきれいでしたし、落着いて、でもすっきりと端正な外観とのバランスもとても良かったと思いました。でもこういう系統なら前川さんの中に陰翳がある方が好きですが、美術館としてはこのほうが相応しいのかもしれません。
と最後はバタバタ新幹線に飛び乗りヘトヘトでの帰宅でした。
僕は敢えて築後長い建築を見るように心がけていますが、例えば自分の今後40年の生き方を考える場合にやっぱり同世代でなく、70歳80歳の方を見て考えるように、建築設計でも出来たばかりの新築を参考にしてしまっては今後5年10年は良くてもそれっきりなんだと思っています。
浜松周辺にはそんな参考になるものがほとんどありませんので(残念ながら今出来ているものも決してそうはなれないでしょう)たまにこうやって遠方に行くしかないなあと。。そんな内心もあって九州の仕事をお請けさせて頂いたのですが。
それと。こういう時には出来るだけ歩いてそのまちの雰囲気とか生活とか感じられるので出来るだけ歩いた(ので足腰が痛い)のですが、山口市は駅の裏が小さな山?が迫っていて、つまり何もないの?って感じでしたが商店街は小さいながらもセンスというか気持が感じられる感じで良いまちだなって思いました。
スタジオムンバイ
ギャラリー間で展覧会やってるそうなので見に行ければなのですが、読みました。
インドの建築家ビジョイ・ジェインの設計事務所というか様々な職人とワークショップでつくっているそうなのですが、まずは人件費によって日本ではこんな規模では難しいでしょうねえ。。
日本とも多少近い気候や環境の中でのデザインなどとても触発されるところもあり、ものをつくるあり方もですが、基本的にそういう手法的な事ではなく、この手法を導いた思想を理解する事こそ大切ですよね。一方でこういうのを手法的に真似しようとする向きははびこるわけですが。笑
設計なんてマニュアル的に学べるわけが無いのにその手の本が近年多いですよねえ〜〜
ジェフリーバワについて「力みが無いんです。空間の位置も構えもさらさらっと決めているような感じで。。ちょうど武術や柔道、柔術の型に無理がないのと似ています」
「建物というのは既に起こった出来事と、これから起こる事と、今起きていることの間を揺れ動いている。逆に言えばこの3つの時間の間を建築が行き来できるだけの余地が残されている。。。建物は作者の肉体的限界を超えて存在し続けるでしょう?そんなわけで、私にとってルイスカーンは特別な存在です。彼にはこうした無時間性を自在に表現できたし、時間を超越した建築がつくれた。」
と、思想の奥はこのあたりで理解できそうに思います。
この思想は他では代用できないけれど、つくる手法やデザインは他にも代用はあるでしょう。