破戒/島崎藤村

  • 2018.03.03
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随分昔、いつ頃だろ、読み、思うところあり改めて読みたくなりましたが、僕の中ではもっとも好きな小説です。

所謂、「穢多」の主人公、丑松が、彼の未来を思いそれをずっと隠すように、と育て、遺言とし、彼も必死で隠して生きてきたが、とある事でやむなくその戒めを破らざる得なくなった、という破戒。

名作ですから、それ以上細かな内容については触れませんが、その「穢多」とはなんだったのか?解説に興味深いのがありましたが、そいういう差別が制度化されたのは江戸以降で、それ以前にもずっと差別はあったが、流動的で、丑松のように、いくら隠そうと、努力しようと乗り越えられない壁ではなかったと。いじめがなくならないように、人間として、イジメがなくならないように、、一部の人間を差別する事で自分の存在に安心をする、という性向を、お上が制度化する事で、その上の農、工、商、も、まだ下がいるんだから、言うことができることで、ある種社会の安定を図ったからじゃないかと思うし、国家が作った大きな囲いに入って、入っていない人間を蔑視する、と言う意味では今の世の中にもそう言う面は多々あると思うけど、本来、個々人のために国家があるはずが、国家のために個人がある、と言う転倒をしているとも言えるように思う。

そして、本書がでた1906年から10年以上遅れて、部落解放運動が高まり、当事者はもちろん穢多とされていた人たちな訳だが、初版の破戒の文章の中には差別的に生々しいものが多いので、それを改めるように、と強く要請し、1939の改訂版は、随分表現が丸くなって、結果、差別というものの強さ、激しさを失うことで本書の魅力が削がれ、その後、結局元に戻ったそうで、そんな中で名作として読まれ続けたということもとても興味深く思いました。

しばらく前に読んだ「夜明け前」でも確か書きましたが、実の父の壮絶な人生と、自らもそれによって決してまっすぐとは言えない人生を背負い、舞台となった長野県で教職をしていた時に、実際穢多の方と接し、聞いた話から本書の構想ができたそうですが、そういう時代でありながら、実際そういう方に接して、こんな小説を書きたいという大きな心の衝撃?を受けたというのは、やっぱり藤村その人が、心に、自分では逃げられぬ重たい何かを背負っていたからではないかと察します。

短文では語りきれないほど、内容は、細部に至るまで良い小説ですから、是非。