鳥もすごい
人間という動物がどこからどのように来たのか?歴史がそうであるように、解明なんてできないけれど、より精度の高い理解はできるようになるだろうし、そこにはロマンというものがあるから、学者さんたちも人生をかけるんでしょうね。もちろん僕も嫌いじゃないからこんな雑誌を手にするわけですが。
でも僕はこの手の学者になれば良かったとは思いません。というのは、人間に関する事であるようであって、でも実は既に過ぎ去った事実という、外部の探求であるように感じてしまうからで、それは数学や物理学にも言えるかもしれません。それらは様々な科学技術や歴史などの学問の発展には資するんだけど、どうにも僕には、それが私たち生身の人間のためなのかどうかが理解しきれないような。
じゃあ何が生身の人間のための学問なのかといえば、それはやはり思想であり、私たち個々人レベルで、何を考えいかに生きるべきかの指針を与え得る、という違いがあると感じています。
と、取り上げておきながらろくに触れずかよ、って感じですが、主題とは違う記事で、「ニワシドリ」という鳥が、求愛行動の中で、ただ大きいとかでなくて、ある種芸術的な巣。独創的で主観的な「美」というものが表現されたような巣をつくって雌に求愛するそうで、ちょっと驚き興味をもちました。
人間という存在のみ、生まれた時から多様な環境に触れ続け、それによって、主観や個性みたいなものが生まれ得るんだと思うのですが、別にこのニワシドリがそんな風に生まれる訳ではなさそうです。でも何故??不思議です。
でも生命なんて恐ろしく不思議で、ウナギが恐ろしく遠い海溝に帰って産卵するなんてのも、簡単に本能だなんて片付けられないレベルの話ですよね。
そしてそれは学問ではとても及ばない次元なんだと思うから、逆にいわゆる学問が軽いものだと感じてしまうのかもしれません。
そっか、鳥のくせに巣の美しさで求愛するんだ〜。見習わなきゃ(笑)
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いつもありがとうございます。自分への試練と思いつつお返事します(笑)。近代以前の建築や都市をつくって来た過程は、恐らく動物の進化と同質じゃないかと思います。持論として、進化=ベターとは言えないとは思いますが、つまり避けがたい変化の中で、のある種の適合というか淘汰としての結果ですが、その結果全てが洗練ではなくて、多分近代以降の価値観で、洗練されたものが評価されただけなんでしょうね。trsgrさんが以前書かれていたような。。
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知性の件については、もちろん敢えて偏った言い方をしている面もありますが、どうにも、人間は新しい「知」というものに振り回されすぎているように思うのです。人間に新たな可能性を提供してくれるのは間違いの無い事なんですが、そもそも、我々にそんな多くの可能性が必要なのか?もしくは、消化できるだけの能力があるのか?というのがとても疑問なのです。
基本的に、今のプロフェッショナリズムというのは結局、事業仕分で学者たちが文句を言ったように、経済ベースの中で成り立ってしまっている面が強く、そして、結局新しい医療技術や、宇宙技術などといった、結局経済ベースで役に立つ事に資するからこそ、今の学問が存在しているような気がして、だから、上に書いたように、人間が、知に振り回されていて、本来人間がどう在りたいのか、という事から乖離した世の中になってしまっているんじゃないかと感じる次第です。