進化が語る現在・過去・未来

  • 2013.03.10
  • BLOG

また別冊日経サイエンスですw
とても好きな内容だったけど何故か読み進まず、、かなり専門的な内容も多かったのと、それぞれに考えさせる事が多くて、少し読んでは考え、寝てしまいwと。。
内容は盛りだくさんなので触れてられませんが、ご存知の通りDNAには恐ろしい量の情報が詰まっていてその違いによって種の違いがあり、また常にそのDNAをコピーしなければならない中で(私たちもタイプミスをするように)変異が起こり、新しい種が生まれてくるのだけど、その変異は本来ランダムで逆に環境に適さないものも生まれるけど、環境に適した変異体の方が当然生き残るというだけではなく遺伝子レベルでも生まれやすい?ような事事が書いてありました。全くランダムな変異の結果にしてはかくも多様かつ美しい地球は出来なかったのでは?それこそ神の仕業に近いと考えていた僕には合点の行く所でした。
しかし僕らは元々魚だったわけで、大陸が移動する過程で浅瀬に棲む魚が、水中の酸素が少なかったり地上に昆虫が居たりした中でまずは空気中の酸素を吸う為にヒレが足に代わり、少しずつ陸上生活を始めた、という下りは魚好きの僕にはたまりませんでしたw。
でもこうやって生命というものを知る事で益々確信することは、簡単に言うと輪廻転生的な事です。
単細胞生物は限りなく分裂を続けているだけで、「死」などなく、多細胞生物となって始めて「死」や人間になって始めて「個」なんて概念を生み出したわけですが、僕らの体だって無数の細胞が常に死んで生まれているわけですが、それを気に留めないのと同様に、もっと世界的に、単に「人類」と考えてみれば、常に個人が死んで生まれるのは当然な訳で、その視点から見れば、僕らは単なる歯車としての「個」に過ぎない、と考える事ができるわけだし、東洋的な考え方はそもそもそうだったのじゃないかと(大して調べた訳じゃないです)信じています。
そう考えれば、死も恐く無いし、目先の事で悩んだり苦しんだりも、余りしなくなるんじゃないかなと。
だからと言って、没個性なつまらない人生、という訳じゃなくて、内面に向かい合う事がそれが実はとても豊かな事なのじゃないかと。そう思ってます。
僕は子どもの頃から特に魚や小動物が好きで、ずっと飼って、随分殺してしまってきましたが、何となくそれから学んだ事が今の思考に繋がっているような気がしています。