菊と刀/日本文化の型

  • 2014.01.05
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是非読んで欲しい本です。1946年に著者ルース・ベネディクト(それも女性!と今言ったら良く無いけれど当時で女性がここまでという日米の違いの大きさ)が一度も日本に来ずして、結局生涯来なかったそうですが、とても精緻に日本を見つめ、分析していますが、彼女の生まれや一時教師をして様々な国の子供たちに接したり欧州各国で暮らしたり、という素養もあったんでしょうね。とても特殊で理解しがたい(当時の)日本人について今読んでも色あせないくらいに記しています。

元々本書は、戦後日本の統治をいかに進めるかの参考書としてつくられたらしいけど、このような研究があったから日本にとっても、米国にとってもスムーズにより良い結果になったようです。世界標準からみた日本人のものの考え方の特殊性は色々に言われてますし、本書にも詳しいですので読んで頂くなりして、大きく言うと、日本人は生まれたとたんに「恩」という大きな仮りを自動的に背負うという事、そして育つ中で「義理」というものを返すしかない生き方を強いられ、冷静に見れば些細な事が「恥」となり自らの命を断つ程になるように生きるのが疑いもない生き方となる。

つまり合理的思考の欧米から見たら、全く持って筋の通らぬ事を物差しとして生きているのが日本人だったのだけど、何故そうなったのか?これは僕の考えですが、西欧と違ってほとんど他民族、他文化と交流したり責められたりしない(多少はもちろんあっても転倒させられるような事はなかった)島国的な環境では「合理的」である事はむしろその合理によって権力の転覆を図られるために、むしろ合理とは逆のあるルールをつくる事で上下関係の安定を図る方が容易だったから、「恩」「義理」「恥」という簡単なルールが育ち、結果、天皇(時代で色々あっても)が残り続け、父権が安定し続けたのじゃないかな、と思います。

つまり「One for All」。働きアリなど動物たちと一緒で「個」の判断や自由は最初から問題とされていなくて、全体がより確実に残ればそれで良いというのは、多分原始的には人間も皆そうだったんじゃないかと思いますし、個人や自由の今の世界がそれより一義的に優れているとは言えないんじゃないかと思います。
ちょっと面白かったのは「日本の生活曲線はアメリカの曲線のちょうど逆になっている。それは大きな底の浅いU字型曲線であって、赤ん坊と老人とに最大の自由と我が儘が許されている」という所で自由と権利の国であれば、壮年期に一番それが享受されるべきだろうけれど、逆に壮年期の自由を奪う仕組みをつくる事で、世の中が安泰であるようにしていて、実際日本で革命なんて起きなかったのはそんな下地があるのかもしれませんね。

タイトルについて、、菊とは、知りませんでしたが、針金の型で美しさを強制されていたという、刀は放って置けば「身から出た錆」もちろん凶器であるという意味でも徹底した「自己責任」の現れだという意味のようですが、自分が日本人だとピンと来ないものですねw

最後に、戦後すぐに進駐軍にニコニコ手を振ったような、外国からは到底理解し得なかった変貌について、余りはっきり書いてあった訳じゃないですが、恐らく「義理」や「恩」の対象というのは越えがたい大きな力でさえあれば良く、それまでの対象だった天皇が負けを認めた事で、あっさりアメリカに乗り換えたというだけなんでしょうね。。「日本辺境論」のようにそれまでは中国に無批判に追従していたのと同じ意味で、つまり自分で何も考えたくはないという国民なのかもしれません。しかし、薄く無い本ですがとても興味深く、また色々考えさえてくれる本でした。

追記/昨日木下恵介監督「永遠の人」を観たのだけど、1937年という設定で、好きな人がいたのに無理矢理ある父子に嫁にさせられた恨みを生涯持ち続け、という不幸な内容だけど、これも有無を言わさぬ「力」が為さしめたんだろうけど、その夫の自堕落さが描かれてました。