聖なるヴィジョン

  • 2014.06.15
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以前薦められて買っておいたけど、タイトルの重たで、、置いてあったんだけどふっと目に止まって読みました。で、先日のトルストイの内容と基本見事に一緒(と僕が思っただけですが)、という不思議?そういう偶然は偶然じゃないんだよ、という本でもあります。

何が一緒かというと、大事なのは愛だよ愛!ってこととその愛は「私たちが良く知っている人間的な愛とは別のもの」であり「大賞がなくても存在する愛」でありそれを感じられれば、安らぎと永遠を感じられるという、まあつまり宗教の始まりのエッセンスだという事が一緒の話をしているのだけど、本書は更に現代的に踏込んでいるのは面白くて、アインシュタインはE=mc2という公式を生んだけど、つまり「物質は光の取る1つの形に過ぎないことを証明した」「自分のまわりのすべての物はエネルギー、つまり光そのもののの神秘を秘めた振動パターンである、、そして私たち自身もまたその一つなのである」というところから私たち人間の生命は有限なものではなく当然のようにテレパシー的のものも、輪廻転成もあるが、ただそれはある種の訓練をしなければ現代人には失われてしまっているが、それができればあらゆる事を好転させることができる。そうである。

まあいつもの動物への喩えをしますが、魚の群れは全体として生き抜くために群れをつくってとても見事に集団で泳ぐわけですが、視覚的判断だけであんな見事にはならないと思うので、何らかのテレパシーでもないけれど波動を出し合っているような気がしますし、まあそれが先日の「神々の沈黙」の神の声でもあると思うのですが、著者は「他の動物と違って、私たちには自分達がここにいる理由を知る必要があった」と書いてますが、僕はそこは違和感があって、彼はアメリカ人で恐らくキリスト教徒でしょうけれど、人間が一番だという観念を植え付けられているのかなと思います。

「私たちの地上での人生は、自分が霊的な存在であることに気付くためにあるのだ」と強調していますが、霊的というのは恐らくSpirituralの訳なのかなと思いますが、どうも日本人には気味が悪く感じていますが、言い換えると、最初に書いたような意味で振動というか波動に支配されているのだという意味であれば、東洋的な気功とかと同じ話として受け取っていいように思いましたし、最近そう言う事がやっと根っこから理解できるようになってきたように思うので、著者に言わせれば、だから読まずに置いてあった本書が目に飛び込んで来た、ということになるのでしょう。

最後に、じゃあ現実社会は、、、と書いてある部分は余り説得力は感じませんでしたが、僕なりに考えた事として、常に全て、決して自分ではなく「全体」のために考えるようにさえ心がければ必然的にそんな波動を感じ、また発することができるのだけど、まあそれが現代人には難しい所ですね。で、具体的に何をすべきかという事では、価値のある仕事をした人の稼ぎがいい、という資本主義的な考え方はまあ今さらどうにもならないとしても、その仕事が「全体」のために本当に「価値」があるかという事を何らかの形で確認をできるようにして、詐欺まがいのな商品や製品や建物wやを沢山売って儲けるような事に何とか歯止めをかけないければ、やっぱり自分が一番可愛い、という現状は変わらないんじゃないかと思います。

まあそれも簡単じゃないけれど、今の時代、生な情報をもっと開示できれば(例えば家を建てた人が全て建てた側の評価をして全てネットに乗せる事と義務付けるとか、無理かー)まず少しは、価値のある仕事が評価され、資本力やブランド力だけのものが淘汰されるし、それがやっぱり全体のためあるべき姿じゃないかと思ったりしました。