現代建築愚作論

  • 2007.10.30
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建築家磯崎新さんが、少し前に読んだ本の中で触れていて、面白そうなので、古本で探しました。
建築史家伊藤ていじ、建築家磯崎新、都市計画家川上秀光が、八田利也(ハッタリヤとも読めるところに意味が)なる架空の人物を装って建築専門誌に掲載していた1958年から1960年のものを集めたもので、磯崎新さんはまだ20代後半という若さで書いたものでで、驚きました。私が生まれた10年以上も前の文章たちでした。

タイトルの「愚作論」とは、世に残る傑作の裏には愚作が必ずあり、それは傑作を生むための必然であるので、どんどん愚作をつくるべきだ!というものです。愚作は駄作や悪作とは次元の違うもので、建築家が滑稽に思われるほどに努力をしても、矢折れ刀つきるときに愚作は生まれ、それが傑作になる場合さえある、という意味で、建築家の主体性が貫かれてつくられたものがある必要があります。
ただ、その愚作や傑作をつくることができる機会も滅多になく、その機会のためには「ハッタリ」やがめつさが不可欠で、それによって、仕事を取り、その仕事に全精力を傾けることで才能を磨くことで初めて巨匠と呼ばれる道を歩める、ということです。
その論調の中に、「小住宅ばんざい」という、建築は小さい住宅をつくっていてはダメだ、という文章があります。確かにハッタリで、大きな仕事をとって、それで自分を精一杯傑作への道へ導こうとするのであれば、内容的にも予算も自由の少ない小住宅にはそういう言い方になるのかな。と。でも戦後10数年後であり、今の時代の状況とはずいぶん違いますが、それでも、磯崎さんは今でも同じ事は言われています。「住宅は建築ではない」と。
と、読んで来て、磯崎新という、今までいろいろ読んだり知ったりしても良くわからなかった建築家の出発点が理解できたような気がしました。
なぜあんなに大量な知識で難解な文章を書き、理解できない形態をつくり、ですが、その後に続く若い建築家たちの道を大きく開き、可能性を与えてきました。
それが新しい建築を次々と産み、その中には傑作と呼べるものも(駄作もですが)あります。
丹下さんや安藤さんとは違う、クレバーな人だなと思います。
改めて、建築は深いな、と思います。
深いからこそ天職と思えるわけですが。。