火と水と木の詩

  • 2009.01.12
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吉村順三さんの1978年の講演録を本にしたそうで、ついつい買ってしまうのは、言葉が素直にす〜っと入ってくる心地よさからでしょうか。同じような話は他の本などで読んではいてもついつい。
建築に対しては、自然に学び、歴史に学び、常に謙虚に、でも毅然と浮き世には流されず、というとても自然な事を自然と身につけられたのですが、その根源はやはり、火や水や植物、そして先人の残した良い建築に対して、大きな感動をし、大きな敬意を払い、それをとても高い目標として据えて、地道に追求してきたという態度でしょうか。
建築の世界のこの数十年は、建築家の言葉は分かりにくければ分かりにくい程、価値があるように捉えられてきた面がありましたが、今の時代、またそんな誠実な態度が見直されてきているようですし、当然の事とは思います。
また、以前に設計した旅館が、経営者が変わって全くダメになってしまったという話があり、ちょうど日経アーキテクチュアにこんな記事が出ていました。

まだまだ新しく、価値のあると思われる建築たちが姿を消しつつあります。
もちろん建築家のエゴで出来た、使えない建築が消えるのはやむを得ないですが、これらのものは概ね、そうでない、良い建築が多いと思いますが、経済の流れ、所有者の変化、事業上の都合、逆らえない部分があるのは仕方ないとは思いますし、設計者にそれを超える力は持てないと思います。
ただそれらの理由は、全てをお金で測る事ができるという前提なので、そうではなくて、建築には人びとの感覚に訴え、記憶に残り、落ちついた気持ちで生きてゆく環境をつくるという、お金で測れない価値があるという事に為政者が気づき、国策として次の国民の為に行わないと、とても悲しい未来になると思います。
こんな話は長くなるのでこの辺で。。