死の家の記録/ドストエフスキー

  • 2018.02.11
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僕はカラマーゾフと白痴しかまだ読んでないけど、どちらもとても好きだったけど、これはもっと好きだなんて簡単な言葉では言い表せない、読むべき大切さを備えたものだと思う。

政治犯として処刑されるところを恩赦でシベリア流刑となり、4年過ごした監獄内での記録なのだが、昨晩たまたまCSで見たアメリカの監獄内で、メキシコ系、白人系などが抗争を続けている、なんて実態も驚きだったけど、昔のロシアなんだから今の常識ではさらにありえない事だらけで、それも貴族であったドフトエフスキーが接した世界はあまりに驚きに満ち、でも彼は自らを見失わず、出所してからの事を希望に、ある種観察的な視点で日々を過ごし、だからこそそれぞれの恐ろしく個性的な囚人たちの内面の洞察もしたり、結果、このような記録としての素晴らしい小説を生み、その後の名作へと続いたのである。

読んでいただければ、本当に読み飽きる事ないほど、囚人たちの日常が驚きに満ちていて、破茶滅茶と言えるようなのも含め、多種多様なキャラクターが全体としてバランスをとっているのだけど、彼らに与えられた環境が必然的に生み出したバランスだ、という事なのだ。もし重力がなければ、海もなく、地上も歩けないので足なんてなく、なんていうのは極端すぎる言い方だけど、つまり与えられた環境が違えば、結果はまるで違った世界になるということが言いたいのだけど、そこで考えて見なければならないのは、私たちが今いる世界も、何も唯一の、一番望ましい環境では間違いなく「ない」のだということだけど、私たちはついつい、自分たちが今いる世界を中心に考えてしまいがちなので、だから違う世界を見ると驚くけど、驚いて当たり前だし、逆にこちらの世界も驚かれることに溢れているはずだし、おかしなことだらけのはずなのだ。例えばで言えば、今じゃ資本主義が大勝利してしまったからみんな洗脳されただけだけど、洗脳されていない人間から見れば私たちは、お金、なんて価値のないものの「囚人」にしか見えないだろう。

あと、解説にもあったけど、4年間の濃密な日々の中で、人間観察を続けたことが、その後の作品の登場人物の描き方にも影響していると思うけど、人間観察というと表面的に捉えられてしまうとすれば、人間洞察というか、やっぱりその能力は小説家には不可欠だし、彼の小説の面白いところはその洞察力により生み出される多種多様な、洞察すればするほど面白い登場人物たちなんじゃないかと思う。でも一方で、現代の我々は、画一化というかタイプ化された「夢」程度を求めるしかない、タイプ化された登場人物でしかなく、そんな洞察して興味深い人物、というのがどんどん消えていっているように思う。幸せかどうか?という前に、人間なのかどうか?と問いたい。

と、思った事を好きに書きましたが、多分読まれる方によって色々だけど、結構考えさせられるし、読んで面白いと思いますよ。