木の文化
またSD選書です。って知らない??建築やってれば知ってますよね〜。
お感じの通り、最近「旧き善き(古き良き?かな、でもこの方がしっくり)」に興味が向いてしまっている私です。せっかくだからしばらくは腰を据えて勉強してみようかと思ってます。そしてその後にまた未来向けた何かが考えられそうに思ったりもしています。
半分以上は仏像が何の木材で作られてきたか?という本で、当初は中国が広葉樹の堅木でつくっていたのを模倣してクスノキなどが多く使われていたのが、途中からはほとんどヒノキになり、仏像の表現もとても優しい、ヒノキの木肌を生かしたものになってきたようで、また日本人の美意識の根底でもある、という話でした。
また欧米の家具が広葉樹を染めて木目を誇張して使うのに対して、日本は針葉樹を白木で使ってきていたけれど、欧米化の中で、日本のインテリアも染められて来てしまった結果、ちぐはぐな美意識になっている面は実感しますよね。
いつも書いているように、何も古い価値観を無批判に讃えるつもりは全くなく、でも今の価値観が形づくられて来た経緯を知る事は何よりも大切だと思っています。僕たち、形を考える者にとっては。
今の世の中、工業生産、大量供給という価値観、モノサシに沿わないものは前時代的だと片付けられてしまうのですが、そのモノサシには、本当に心地よいもの、美しいもの、という基準は欠けているので、ムク材は集成材になったり、合板になったりしてきたんでしょう。
言っても書いても伝わらないと思うので、自分の仕事でそれを地道に伝えてゆけば良いかな、という気持ちです。
まあ、午前も打合せでそんな話をしましたが、木材を使えば良いという訳じゃないところが難しく、野暮ったくなりがちなのですが、でもこれまたいつも言う事ですが、昔の日本建築が野暮ったいなんて全然ないでしょ??
それはたぶん、今の設計者より昔の大工の方が美意識が高いという事ですよ(笑)
SECRET: 0
PASS:
僕の言葉足らずでした。淘汰して残った美意識を共有できたのが昔の大工で、今の設計者は差異を競わざるを得ない部分があるから自らの美意識を構築する余裕もないというつもりでした。
SECRET: 0
PASS:
こちらこそありがとうございます。
ブログって読みたければ読めば良いと思ってしまって、持論を一般論的に書いてしまっているのは反省ですが、基本的には僕が書いている事は全て、僕個人の好みでしかないという事は自覚は当然しています。
偉そうですが、ある種の啓蒙意識があるのは否めないかもしれませんが、上記の理由でご容赦ください。
「変態的までに繊細」というのはとても示唆的ですね。
大陸的に強く在らざるを得ないものに対する島国の特徴かもしれませんが、建築の傾向が風土だけで決まった訳でないように、島国だったからで片付けられない深い理由を持ってますよね。
そして「さりげなさ」もあくまで主観的なものなので今後も通用するかどうかなんて私にも分かりませんが、個人的には客観的という脱色されたスタンスでは本当に価値のあるものは判断できず、様々な巾をもつ主観が下した判断の総体の中で、何かが生き残った結果が、文化を形づくるんじゃないかと思うだけです。
だから偏っていると認識しながらも僕という主観の意見は発言すべきだと信じて、恥ずかしながら遠慮なく書いていますが、こんなご意見を頂けると、改めて自問でき、有り難く思います。