日経サイエンス
ちょっと面白かったです。
まずは我々がいる宇宙(ご存知の通り膨張中の)は一つだけではなくその外側に無数の宇宙があるのではないかという、マルチバース論があり、別の宇宙では物理法則さえも違った、つまり我々には想像できない世界があるかもしれないと考える科学者もいるそうです。でももちろん,宇宙の外は観測はできないので実証は出来ないのですが、もしそうだとすると「実在」なんて問う事自体無意味になる、ということらしい。
「この世界がいまあるように組み上がっているのはなぜなのかについて説明を追求することに意味はない。私たちの世界を組立てている部品とは同一でない部品でできたほかの世界がたくさんあるからだ」を読むと少し分り易いですね。
「祖父母がもたらした社会の進化」というのもまた興味深くて、人類の歩み(進化という言葉は嫌い)の中で、実は数万年前くらいまでは祖父母となりうる寿命ではなくて、それ以降祖父母と接する事で道具や芸術などが急に発展したり、人口が増えて更に複雑な文化を生み出し始めたのではないかと。なるほどそうかもしれないですね。
最後に「都市の力」と題し、都市には様々な問題が指摘され続けたしまだ抱えているように見えるけれど、エネルギー消費等がより効率化したり、交流の可能性が高まる事で新しい価値を生み続けたり、世界の活力はやはり都市から生まれていて、スラムを排除しようとするのではなく共存する道を探る事こそより良い未来を生むと論じています。
とバラバラと取り上げましたが、建築の世界も、「神」のような生成原理を求めている面と、個別の人間の個別な発言などで出来てしまっている面の間で揺れ動き続けてきていますが、上記の実在のような「神」を問う事は科学としては無意味であっても建築という実学には意味のある事だと思います。でもこんな風に他の世界やもっと大きな世界で何が語られているかを知る事はとても大切ですよね。
核家族化が進み祖父母は居れども接しない今の時代はどうなんだろうと言うと、もちろん書物やネット上の様々な情報がある程度その代わりをしているんでしょうけれどそれはあくまで選択可能な情報であって、昔の祖父母という、選択不可能性をもった情報とは随分本質が違うのだろうと、そして今のこの状況が本当に良いのだろうか?と考えさせられます。都市の話も、それもあくまで世界の人口が爆発的に増えているという前提において都市の有効性が述べられているに過ぎず、その前提を外したのなら(今は現実的ではないにせよ)、という事も考えてみる必要があるように思います。
「同一でない部品でできたほかの世界」は、宇宙単位で交換はできずとも、我々人間は社会をいう枠組みを変革しながら、ほかの世界をつくってきたので、常にその意識を忘れない事は大切なんだと、つまり今の状況の前提を疑ってみる事が必要だと思います。
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「枠組み」を「再構築」することが「不可蝕」になってしまってきたのはやっぱりそれが「実在」をともなって重く感じられているからなんでしょうね。その重さを破壊する超人にやはり簡単になれないのが人間や人間の文明文化の特徴だとしたら、それを肯定しつつ何ができるかを考えなければいかんのかなあ、、なんて思ったりもします。
建築史が新興宗教を扱えないのは軽く見ているわけではなく、連綿と築き続けた建築の歴史を一瞬に破壊してしまうんじゃやないかと恐れているとも言えますよね?
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伊藤滋さんは、都市計画家協会会長だったころ、浜松のまちづくりセンター設立に際し協会に協力を求めた(結果センタ−長は2代協会で選ばれていました)りしたのでお会いして、確か酒の席?で協会に入れ!と言われた記憶が。。
でもどうも建築出の世界と違う思考回路を持っている世界だと感じました。。結局
巨大施設の話、宮台さんのように語ってくれると、固い学者の統計とかじゃなくて伝わり易いし、ヤバいんだって思いますよね。しかし、都市計画や建築の側、そして行政はどうもそれから目をそらしてますよね。
どうしてなんでしょう。。旅の恥は云々という、自分の無名性を感じられる事で善悪どうでもよくなるからなのか、、ということは例の空中、海上都市がもし出来ていたらそんな傾向が同様に出ていたかもしれない?という事なのかもしれないですよね。