方法序説−デカルト

  • 2012.01.28
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「われ思う、ゆえに我あり」はご存知かと思いますが、その言葉の本当の背景をきちんと読んでおきたいと思いました。
1637年に出版されたのですが、1633には地動説を唱えたガリレオが異端審問で地動説を捨てると宣誓させられた上で軟禁生活を強いられた、そしてデカルトもそれには心を痛めていた、そんな時代背景の中で書かれた本書も少し言葉を誤れば同じ道、という状況だったようです。
そして「生まれつきの理性だけをまったく純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人たちよりも、いっそう正しく私の意見を判断してくれるだろうと期待する」という理由でラテン語ではなく当時としては例外的にフランス語で書かれたという事からもそんな状況が感じられます。
正確なタイトル「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話」の通りの内容なのですが、そのためにはまず「ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり」でも「このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこの私は存在する『われ思う、故に我あり』というこの真理」を揺るがし得ないほど堅固で確実な「哲学の第一原理」としました。そしてデカルトの考えは近代合理思想の基礎となりとても大きな影響を残したのですが、近代の超克の中で古くさいものと見なされてしまったようにも思えます。
また無意識(フロイトとか)の発見の後の現代思想ではそれ以前の哲学は意識中心主義的であると退けられたりもしていますが、それでもなおその重要性は揺らぐものではないと思います。
「真らしさ」は容易に見つかるけど「真理」は少しずつしか見つからない。
でも周りを見渡せば余りにも「真らしさ」を過信して全てが回っていないか?
この何が何だか分からないような現在だからこそ、徹底的に疑った上で何が残るのか?という事を一度真剣に考えてみるべきじゃないかと思います。
意外と読み易く、なかなか面白い本でした^^