新建築4月

  • 2018.04.03
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リノベーション特集、ですが見応えがあるものが並び読み応えありました。

表紙のは1938年に内田祥三設計でできた旧公衆衛生院、その後一時閉鎖されていたものを港区が取得し、郷土歴史館等複合施設(ゆかしの杜)として整備したそう。このくらい、使い続ける価値の感じられる重たい建築があることは良いなあと思うけれど、ネオゴシック様式、に括られる?ようですが、東京駅も含め、その時期、西洋化しようと躍起になった結果の建築である、という面はちょっと複雑でもありますよね。
そんな意味で、敬愛する村野藤吾設計、1931竣工の近三ビルヂングは、鉄筋コンクリートで西洋的といえばそうですが、デザインは全くもって村野さんから生まれてきたものと言えると思うので、それが愛されて改修を繰り返し、という紹介もされてますが、僕にはやっぱりこれが一番グッとくるなあ。雑に見れば、変哲のないビルですが、村野さんが建築主に「考え抜いた作品」と伝えたそうですが、隙のない、というのかな、やっぱり考え抜いた結果なんでしょう。はーー、精進が足らんなあーと思わされますね。

話題になってますが太陽の塔。ここから遠くない大学に通ってましたが、ずっと行ってないなあー。これは建築とは思わないけど、内部も面白そうなので是非行ってみよう。

右下の、は築60年の文化住宅を改修したそうで、これに近い例は結構あったかと思うんですが、僕は評価しないタイプです。つまり残すべき質のものは頑張って残すべきだけど、これはそうでないと思うし、このレベルのものでも上手に残せば面白い、という発想が蔓延すると、今作るものもこの程度でもいつかリノベーションできる、と思ってしまうのではないかと思うけど、そうじゃなくて、村野さんのもののように、全ての建築は、考え抜いて作ることを目指されないといけないのだと思うから、やっぱりこういうのは潰す代わりに考え抜いたものに作り変えれば良いのだと、思ってしまいます。でも、そんな両極端な言い方は現実的ではないのと、もちろん、建築に携わる人間として、全ての建築物には、少しでも長く愛されて残って欲しいし、それが僕たちの心の拠り所になると信じていますので、残せるものは、そして残す価値があると感じられるものは、精一杯の力で残れるようにするのも仕事なのかなとは思います。