新建築12月号

  • 2011.12.02
  • BLOG


「仮設による地域の拠点」という特集で建築家が大震災の被災地で地域と協働してつくられた仮設建築を取り上げています。
まずかなり尽力されている伊東豊雄さんが「何度自らに問いかけても、私は、<表現>の意味を見いだすことができなかった。そして日常固執している<表現>を殺す事によって初めて、あの住民たちと喜びを分かち合うことができたのだ」と、「切妻屋根と庇と縁側を備えた木造」で集会所をつくった気持ちを吐露しているところに、他の建築家が関わったものに漂う、モヤモヤした結果の理由が象徴されているように思いました。
表紙になっている「竹の会所」は「表現」をされていると思います。が、その表現へのエネルギーが、本当に結果地域のためになったかどうか?と聞かれて恐らくYesと言い切れないと思われるのも。
ただ「女川町仮設住宅」は、さすがに坂茂さんです。「1%の村野」のように、建築家として譲れないところはあるけれど、基本はその建築があるべき姿をただ追求していた事を思い出しましたが、変な色気があったら、坂さんはここまでボランタリーを続けられなかったでしょうし、逆に言うとそんな色気を払拭できない建築家たちだから、モヤモヤせざるを得ないというか。
また、「政府は単に被災者の忍耐力と、大人しい日本人の国民性に甘えた無策を続けている」という坂さんの言葉は、やはり裏を返すと建築家たちの社会的発言力の無さを物語っていると思います。
じゃあ建築家(しつこいですが僕は違う)がどうすれば良いか?
まずは自らの仕事を磨き上げ、接する方々の心を動かし、価値を感じてもらい、それから初めて社会的な発言をし始める事が可能なのだと思っています。
何となく、僕が震災に対して何もしていない事への言い訳のようにも読めますが、否定はしきれない自分も居たりします。
もちろん早い、より良い復興は何より望むべきものですが、「無策」つまり策をつくるための「意志」がない状態で手探りで場当たり的に動いている事については改善するのが、何より大切に思えます。