新建築7月

  • 2014.07.01
  • BLOG

なんだか今月号は内容が盛りだくさんで読み疲れるくらいな感じ。
表紙左のは「虎ノ門ヒルズ」。1946年に都市計画決定された道路でしたが地価が特に高い等の理由で動かなかったのが「立体道路制度」が出来たためにこんな高層ビルの下に幹線道路、なんてものが実現したらしい。

それをいいなあーと見るのか?いやいや、これ以上東京の容積なんて増やされたら最近も静岡県なんて人口が流出しているらしいと報道されたけどこれ以上東京独り勝ちはやめてくれよー。というのが僕の気持です。日本の経済のためにはきっと良いんだろうけれど東京に住んで本当に幸せなの?と思います。
右上のは青木淳さんの「杉並区大宮前体育館」。青木さんは本当に真面目な人だなーと前から思ってましたし恐らくすごーく気苦労をされてるんじゃないかと勝手に想像してしまいますが、「僕はこの建物で、排他的にならざるを得ない完成された全体性から、できるだけ遠ざかろうとして、直面する無数の独立項に開かれた建築のありかたを探ろうとしたのだった。そしてそれが今のところ僕が思いつく『はらっぱ』のつくり方なのだ。」と、「はらっぱ」は前から青木さんが使っている青木さんを理解するためにはとても重要な言葉で、要は、意図的につくられたものではないけれど結果的に僕たちの色んな活動を許容するような、でもある一定の望ましい「質」をもった所という感じなんだと思いますが、単にフレキシブルにつくればそうなるわけではなく、かといってつくる事を諦めるわけにもいかないので、そこはまあ悩み続けるしかないいばらの道、といった所でしょうか。だから建築的に、オッと言わせる質があるかと言えばそれ目指していないのだけれど、もちろんそこは青木さん建築としては成立させているとは思いますが、はらっぱと一緒で、使ってみて、いや使い続けてみてその真価が出るのでしょうね。反対に、「排他的にならざるを得ない完成された全体性」を求めて設計されたものは、オッと言わせてもはらっぱの質はもち得ないはずだ、という事でしょう。
僕も、凡庸と言われたらそうかもしれない木造住宅をつくっている意識の一部には、そんなはらっぱ性を得るにはそれでいいんじゃないかな、という思いが少しあったりもします。
って分からないですよねw
あとは、、安藤さんの秋田美術館はなんか色あせて見えるなあとか、隈さんの外装の鱗みたいな材木は10年も経ったら剥がすしかなくなるんじゃないかなとか。