新建築3月

  • 2011.03.01
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表紙見て最初誰だろって思ったけれど、谷口吉生さんで、よく見れば確かに、らしい!という感じですね。
あと、「合理的な建築を目指して」副題「時代を超える価値の創造」という文も載せられていて、全てはその言葉たちに集約されている感じです。
いやいや、と適当に分かった振りをしてもいけません。
オフィスに最適と思われる、3.6mグリッドで構成されそれが表現されている。なるほど!ではなくて、何故それを合理的と呼ぶべきなのかどうか?と二日程(といっても断片的に)考えていました。
合理というのはもちろん「理/ことわり」に合っている事で、その「理」とはなんぞや?ですが、一方で、「原理」や「公理」などと言う言葉は数学で使われたりする、いわばその世界の中での決め事な訳でして、やっぱり人間が後で定めたルールでしかないと言えます。但し、かなり根深いルール。
そして谷口さんが、何故この3.6mグリッドをこんなに細く見せる事に執着するかというと、やっぱりグリッドは線であり面ではなく、そのためにはこれ以上太かったら線ではないという限界なんでしょう。(しかし被覆して400実際300以下の構造体なんだからすごい)
そしてその執念も、「理」という言葉が為せる業だという事です。
ミースは自らそれほど言葉にはしていないと思いますが、きっと「理」を求めたのは似ているのかもしれません。
で、その結果、ミースも谷口さんも「時代を超える価値」を産んでいるように思いますが、でも結局人間がつくったルールなんじゃ??でも神も人間がつくったルールだと言ってしまえば時代を超えて然るべきなのか。
建築の世界は、「ディテールに神宿る」なんて言葉が教条のようになっていますが、やっぱりニーチェが神の死を宣言してもこの世界には神は宿り続けるしかないのか?
そんな意味ではコールハースなんかは神を登場させたりはしていないように見えます。が、裏を返すと、時代を超える価値を持っているの?と感じたりもする。
なんて事を二日程漠然と考えつつ、いやいやこれはとても根深い事なんだから、改めてきちんと考えなければ、という経過報告まででした。
建築で「美」と言えば「比例」それはratioでありそれは「理」と同じ言葉だったりするところを見ても、「美」とは人間が作った「神」と同じであって、神を殺してしまえば美は消滅するのか。