家普請3−ミッション

  • 2011.11.07
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起承転結で、転。つまり結が最後にある?かも。
僕ら建築をやっている人間は基本的には建築が好きで夢を持ってより良いものを目指しているはずなのに、なんでこんな悲しい状況なの?という事について。
「ミッション」もしくは「使命」が欠けているから。というのがざっくりした答え。
そのミッションというのは僕らの世界では有名な「用、強、美(ワクワクさせるという意味の解釈も)」という建築の要素をそれぞれにより良く満たすものをつくろうと努める事。当たり前と言えば当たり前。
そしてそれを満たす事は住まいや建築をつくるための「目的」であり、つくること自体は単なる「手段」でしか本来ないのですが、現状「つくる」事が目的になってしまっています。まあ世の中手段と目的がひっくり返ってしまっているものだらけですね(例えば国家は国民のためにあるはずが国家を存続させるために国民がある現状みたいな)
「つくる」ためには会社として「売る」事が不可欠なので、つまりは「売る」事が何よりも優先されるわけで、純粋な使命感など社内で振りかざしても嫌われてクビにされるのが落ち。そうやって建築を志した純粋な使命感は抹殺されてゆくわけです。あー恐い。
そして僕たち一部の(!)設計者がなんとか使命感を失わずにいられるのは、「売る」必要がないからです。そして「用、強、美」をより良く満たすためだけに尽力をすればよく、だから設計施工の大小の会社の中で設計をやっている方たちと違い、「売る」事なんか考えずに質の向上をのみを考えれば良い。だから圧倒的に設計力がある(はずですが、そうでない努力不足の方も沢山います)。
かく言う僕もまだまだ努力不足で、もっともっと力のある諸先輩が(浜松ではなく)いる事は重々承知の上です。
でも、使命感だけ保てたとしても、「用、強、美」が自動的に満たせるわけなどなく、またかなり時代の価値観に左右される、つまり何か使い易いとか何か美しく楽しいかとか、世の中の強度基準にただ従えば良いという事でないとか、、設計者の価値判断レベルをより向上してゆく普段の努力をしなければならないし、そのためには人間の「本質」を知る必要があるから、歴史や哲学や人間に関するさまざまな事を経験し、「感じ」なければいけないから、まあ一生修行のような気持ちでないといけないんだと思いますし、そんな積み重ねをすることで初めてつくる事ができる良い住宅というものもあるのですよね。
プロが自らに問いかけ続ければ良い内容でしたが、まあ一般の方にも少し知っておいてもらえたらと思い書きました。