夜明け前/島崎藤村

  • 2017.08.09
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昔々「破戒」読んで、ある意味でとても印象的に記憶しているけど、それ以来かな。文学をきちんと理解している層にはとても評価されているみたいだけど、あまり耳にしないですよね。

その理由かもしれなけど、藤村自ら語った意図について「あの作は、ご承知のように維新前後に働いた庄屋、本陣、問屋の人たちを中心に書いたものでございます。維新前後を上の方から書いた物語はたくさんある。私はそれを下から見上げた。明治維新は決して僅な人の力で出来たものではない。そこにはたくさんの下積みの人たちがあった。。。。」と語ったそうですが、つまり歴史は「英雄譚」として書かれたものばかりだけど、その逆としての、名も知らぬ、でも限りない数の人々の物語だから、実際僕も感じたけど、退屈で長ったらしくも感じる。でも確かに歴史は英雄が作った訳ではないのだから、英雄的視点で歴史を理解するのは間違っているのだし、だとすると、こういう形になるべきだ、とも言える。

本作は、藤村の父の島崎正樹がモデルの主人公、青山半蔵が、維新よって苦しい処遇を受けた庶民のために戦いつつ、馬籠宿の庄屋・本陣・問屋という地位を奪われながら、最後は狂人となってしまうというストーリーが、周りの人々や自然などの細かな描写に包まれて進むのですが、僕が気になったのは、半蔵は国学の平田篤胤を師に持ち、本居宣長を尊敬していて、周りにも同志がたくさんいて、王政復古としての明治維新に期待をしたが、結果は期待したものとはずいぶん違った、という筋書きでもあったのですが、僕らは「国学」なんて本当に教科書の中の記憶でしかないのだけど、本来は日本人の背骨のようなものではなかったのか?それを結果維新を通じて捨ててしまったのではないか?敗戦でアメリカに色々塗り替えられてしまう前に、維新を通じて、日本人は自らを塗り替え、その結果が戦争に至る道だった、とも言えないか?なんてことを感じましたが、中途半端な知識の元の思いつきですから、多分的外れな事じゃないかと。

ただ、明治維新の英雄譚を読んで明治維新を理解したつもりの僕らは、やっぱり何もわかっていなかったし、国学のために身を犠牲にした半蔵のような、沢山の、無名の人々のことを知ることで初めて理解ができたのかな、と思いました。