堀部安嗣の建築-foam and imagination

  • 2007.12.03
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先週末、堀部さんの本の出版記念トークに行ってきました。
堀部さん、竹原義二さん、横内敏人さん、という豪華な面々でしたが、とてもアットホームな雰囲気で楽しい時間でした。
本を見てすぐ気づきましたし、トークの中でもだいぶ触れられましたが、作品の写真が全て堀部さんの撮りおろし、それもとてもスナップチックで、所謂建築写真でなく、妙にあおっていたり、構図がずれていたり。。でも、「愛せない被写体は美しく撮れない」と言われたように、とても自身のつくって来た住宅への想いが感じられる作品集です。
横内さん曰く、「詩性がある空間をつくれる建築家」「数学者の息子らしく、幾何学への強い想いによる厳格さをもつ反面とてもおおらかな部分がある」というお話の中で、「軒先がグー」というお話はとても面白かったです。その意味は、通常建築家という人種は、軒先とかは、特に繊細さというか洗練さを追求するのに対して、堀部さんはあっけらかんと無骨なまま軒先を突き出している、という意味ですが、それが逆に、空間のおおらかさを生み出していますし、堀部さんも洗練みたいなものは求めていないと言われているところが、大きな建築の流行などとは無関係に、本当に自分が良いと思える空間をつくっているのだな、と思わせます。
竹原さん曰く、開口を空ける場所をすごく我慢しながらとてもうまく開けていて、縁側的な空間がない、という辺りに、所謂和風の建築(大きな開口と縁側による軒先の中間的領域空間を目指す)とは違い、小さい空間の中に小宇宙が感じられるような(もしかして茶室的なのかも)空間をつくっているので、小住宅がとても良い、と。
ギリシャ的なものの考え方が好きで、時代の流れや発見で覆されない「公理」的な建築を目指されているのですが、実際の建築の生み出し方は、「フォーム改造を良くするバッター」と自ら例えられたように、造形の神のようなものがあるとは決して考えていなくて、様々な空間構成のルールを試しながら、それでも普遍性を求めている中に、幾何学的な形態にルールを求めながらつくられているようです。
まあ、堀部さんも余り語る方でないように、言葉というのはなかなか深い事を伝えない物です。
でも、堀部さんの建築はこの数十年の間の建築の中でも、最も深く伝える力をもつものだと思います。それは、モダニズム以降の、語る事で社会を動かすことを意識しつつ空間をつくって来たという時代の亡霊が未だに多くを支配しているという裏返しなのかな、と思います。
料理も、理屈もなにも関係なくても美味しいものは美味しいように、建築も、能書きよりも、感性に語りかけるべきだし、今つくられているほとんどの建築は、本当に美味しくつくる事を諦めた(というか知らないというべきか)料理のようだと言ってもいいのかもしれません。
凝った料理というのではなく、本当に良い素材を、とてもシンプルに調理して、本当に食べたい時に食べる、という事の美味しさ、贅沢さ、というのは、誰にでも分かりますね。それと同じ事が建築でもできるはずなんだと思います。(もちろん、それを生み出す感性が必要で、簡単ではないのですが)。
普通に住宅が建てられている予算でもそれは実現できるはずなので、安易に安易な選択をせず、せっかくなので、ずっと居たくなる空間をつくりましょう!