人生について/小林秀雄

  • 2017.10.18
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卒論で関係したので読んでその後もたまに読んだ(けど良く分かっちゃいない)ハイデガーという人も人間が人間であるところから始めて、芸術など物の見方について深く考えた人だったけど、小林秀雄もそうだと言えばそうだが、こちらの方がスーッと僕の中に入ってくれて、やっぱりすごいと思う

ハイデガーとの違いは、「仏教」じゃないかと思うけど、ハイデガーは晩年、仏教というものをもっと早く知っていれば、というような事を語ったと聞いた記憶もあるけど、本書でも「美しい自然の中に生まれた宗教と、砂漠の生まれた宗教」「苦行を否定した釈迦は牛乳を飲み美しい林の中で修行したが、飢えたキリストはイチジクの樹に、今より後実を結ばざれ、と言っている」「仏教は、キリスト教のような異教の美とのの争いを知らぬ」そして「仏教の観法という根本的な経験が、審美的性質を持っていたからで、、、観法はそのまま素直に画家の画法に通じ、詩人の詩法に通じた。」などと物を観る(見るは頭で、観るは心で、である)事について、仏教を通じて行ってきた日本人が素晴らしい文化を紡いできた、という理由がわかる気がするし、ハイデガーが行き詰まってしまったのもわかる気がする。また「絵仏師というのは僧籍にある絵師をいうのですが、これは僧にありながらたまたま画技にも長じていた人という意味ではないので、当時は僧籍にある事は絵師として大成するには大切な条件であった」というのも僕にとっては大切な教えなりそうな話である。

またリルケを引いて「芸術家は物Dingを作る。美しいものでさえない、一種の物を作るのだ。人間が苦心して様々な道具を作った時、そして、それが完成して、人間の手を離れて置かれた時、それは自然物の仲間に這入り、突如として物の持つ平静と品位とを得る。それは向こうから短命な人間や動物どもを静かに眺め、永続する何ものかを人間の心と分かとうとする」「人間はただこの経験のために物を作ろうとした」なんていうのは、ピラミッドやラスコーの壁画や、なぜ人間が作ったのかを教えてくれるように思う。

小林秀雄とは、僕にとっては、本当に価値のあるものと、本当にたくさん向かい合ってきた事で、本当の価値とは何かを心で会得してきた方、と簡単にまとめるとそんな風な存在で、だから今までそれなりに彼の書を読んできたけど、これは違うだろ、というのは全くと言っていいほどなかったように思う。ただ、小林秀雄教徒になっているだけなのかもしれないがw

小林秀雄も一時期随分ハマった(金も使った)骨董の世界、僕も少しだけかじった(金がないので安物しか買えないが)時、小林秀雄の本など読んだ影響もあり、現代作家の陶芸や芸術、というもが嘘くさくしか感じられなくなっているのだけど、同じように建築について思うんだけど、それでよかったと思ってるし、この仕事を続けるにあたって一番大切なものを、小林秀雄から学んでいる、と言っても良いかもしれない。