五輪書/宮本武蔵

  • 2018.01.20
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しっかりと訳注がついていたのでついついそちらに頼ってしまいました。。吉川英治の宮本武蔵もとても良い小説でしたが、しばらく前に武蔵の描いた画が結構国宝になっていて、改めて見ると、とても素晴らしいし好きなものだったので読んでみました。

最近、岡潔さんの本をよく読んでいますが、つまりは「無明」まあいわゆる「煩悩」から遠ざかる努力をし続けなければいけないのに、世の中煩悩を奨励してさえもいる、という嘆きが通底していて、煩悩から逃れた「大我」を目指さなければ、ということですが、武蔵が言っていることも、大我だ、と言えばそれっきりですし、全ての「道」を極めるというのは同じことなのだと思いますし、武蔵も言っていますが一つの道を極めれば他も見えてくるというか、だからこそ国宝になるような画を、師匠もなく描いてしまうことができた、と言えましょう。

でもどうしても気になっていたのが、武士道と言えども、武蔵も言う通り、目的は「敵を殺す」事でしかなく、形式的に格好つけているなんとか流、みたいなものは邪道でしかなく、「敵を殺す」ために日々鍛錬するだけしかない、と言うのだが、「殺す」と言うのが「道」だ、と言うことへの違和感がありました。でも読み通してみて分かるのは、当然ですが、自分のためや名誉のためや自分が生き残るために殺す、のではないし、もちろん必要がないのに無差別に殺すなんてことはありえないけれど、その必要がある限りにおいては、勝たねばならないし、お互いズルズル傷つけ合うより、どちらかが圧倒して、相手をあっという間に殺してしまうべきなのだ、と言う感じでしょうか。そして、眼で「見て」心で「観る」ことでそれが成し遂げられる、と言うように、厳しい修行の先にしか到達しえないけれど、武蔵はそれを伝えておきたかったのでしょうか。

こう言う歴史的なネタはいい加減なことを書くわけにも行かないので濁しておきますが、でも大切なところは、岡潔と武蔵は同じ境地に至ったからこそ、大切なこととそうでないことが自然と分かるんだなあ、というところでした。

でもそうなると、今の時代も戦争が必要であるとするなら、アメリカのように圧倒的な力でねじ伏せる存在があるべきだ、となるのか?必要であるなら、武蔵はそう言うんじゃないかと思うけど、その前に今の時代の戦争が必要なのか?またその前に、武蔵の時代の戦は必要だったのか?深い問いになってしまうけれど、動物でもそうだけど、避けられぬ争いと、誰かの身勝手で起こる争い、と言うのがありますよね。岡潔さんは、「他人を先に、自分を後に」と育てられたそうですが、フランス国旗の三色は、自由、平等、博愛を意味しますが、今の時代、自由と平等、つまり自己中心的な部分だけが勝り、他人を先に、と言う博愛が抜け落ちてしまっている、とこれも岡さんの言葉ですが、だから起こっている戦争、と言うのは避けられるはずのもの、と言えるのかもしれません。