久々の関西へ。

  • 2018.08.20
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ちょっと訳があって?娘たちと建築見たりランチをして来ましたが、本当に久々に阪急電車に乗ったり懐かしいやら、、でした。

まず竹中大工道具館へもちろん建築も良質でしたがパッと見は木造でも法規上コンクリートや鉄骨で作らざるを得ない、というところの限界はやむを得ないですね。でもそれより木造の歴史や技術を伝える展示がとても良かったです。日本建築で使われた杉檜は目が通っているので、大昔にノコギリなんてない時代でも、石を割るように、クサビを打つことで結構まっすぐパシっと割れたから法隆寺のような古い時代でも四角いまっすぐな製材が作れたし、それが日本の木造の技術のエッセンスを形成した、というのは半分知っていたようで、でも改めて、素材と技術と形の関係を考えさせられました。

その後ランチして、これからは全部村野藤吾巡りになる訳ですが、旧兵庫県立美術館を訪ねましたが、質実剛健な建築で今は市民ギャラリー的に、決して無理して残しているのでなく使い続ける理由が感じられる、さすが村野作品だと思いました(写真はないですが)

次は、20年ぶり位の再訪?宝塚教会。築50年を超えますがいやあ相変わらず、というかまだ100年経ってもこんな感じであり続けてくれるんじゃないか、という建築のお手本のような存在だと思います。村野さんは途中から粘土のモデルを作らせながら建築を考えたと読みましたが、伊東豊雄さんもこういう表現を老境?でされ始めて来てますが、でも根っこの部分で何か志向が違いますよね。村野さんは大地を目指し、伊東さんはどちらかというと空を目指しているような?(でも最近の作品では大地を目指した、とありましたね)

宝塚市庁舎。僕はこれは結構好きなんですが、パッと見はなんてこともないように感じる方も多いのかもしれません。でもその地味とも言えるからこそ存在が強すぎず毎日見ても見飽きず、美味しい白米を丁寧に炊いたようなそんな建築だと思うし、村野さんは後年宝塚に住んでいたそうなので、あえてそんな風に考えたのかもしれません。また今回初めて宝塚劇場の建物の前を歩いたのですが独特な洋風な意匠でまちが作られていて、歌劇団の存在というのはやはり大きいと思うのですが、それに合わせたわけではないにせよ、この建築の意匠には何かそれを意識したところがあると感じました。
と、若い娘にこの上品すぎる?表現の価値が伝わったか分かりませんが、価値があると信じるものを見せるのが親の役割(エゴ?)かなと。

そして懐かしの阪急宝塚線で梅田から、大阪駅界隈を歩きましたが20年経っても変わらない懐かしさと、大阪駅辺りは随分変わって、死ぬほど人だらけで迷いかけながら、濃密な一日から帰途につきました。