中原中也

  • 2011.06.05
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解説文にあった、中原中也のエッセンスを示す言葉としての「名辞以前(=言葉以前)」つまり、言葉というのはある物事を他のものから区別して,結果限定してしまっているような一般的状況に対して、言葉がそんな分化をされてしまう以前の何ものかを探す、というような事についてはとても興味があったし、建築についてもそんな事が語られる事もあるのですが、、、これを買ったのは↓に引用する「サーカス」を読みたかったからです。
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幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー後段略
今まで詩というものに、それほど心を掴まれる事はなかったのですが、この詩と、「ゆやゆよん」という音には掴まれました。笑
まあでも、最初に書いた通り、世界というのは、言葉で分化されたように感じるようには、決して分化していないという事だけは、常に意識しておくべきだと思います。