ハンナ・アーレント

  • 2015.08.05
  • BLOG

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ハイデガーの愛弟子。「人間の条件」も読みかけて結構難しくて放置してましたが、でもこの映画はかなり観られたそうですね。

ナチスの官僚でユダヤ人を何百万人と収容所に移送する指揮者だったアドルフ・アイヒマンがイスラエルの諜報員に捕まり裁判にかけられるのに立会い、手記を発表しそれが強い非難を受けました。
それは、アイヒマンは単に判断能力を失った「悪の凡庸さ」でしかないと言った事と、ユダヤ人指導者の一部がナチスに協力していたと言ったので、アイヒマンやナチスの罪を軽くみて、また被害者のユダヤ人に罪をかぶせると思われたからだそうです。でも彼女もユダヤ人。

彼女が立場をかなり悪くしてまで言いたかった事は、本当に恐ろしいのは、アイヒマンのように、悪意も判断能力も失ってしまっても単に命令としてとんでもなく恐ろしい事を行ってしまうという事があるのだ、という事だと思いますし、同じことは太平洋戦争での日本軍や、古いけど酒鬼薔薇事件やオウム事件なども同じ構造で、つまりその本人を悪人として責めても何も解決せずに、その凡庸から生まれた悪、という構造を理解しなければならないのだ、と言いたかったのではないかと思います。
だから彼女は一方で、考え続ける事の大切さも語っていました。思考停止がいつの間にか悪への無批判な加担をしてしまうのですね。
でも為政者からすれば、庶民は思考停止をしていてくれた方が都合が良いし、資本主義社会もコマーシャルで流したものに飛びついてくれる消費者を求めています。

大海に放り出されれば、泳ぎ続けなければ死んでしまいますが、それと同じように考え続けなれば死んでしまう、くらいの気持で考え続けたいものだと思います。
是非おすすめです。