アノニマス。続き
trsgrさんとの対話ブログの様相です。がご勘弁。笑。
先日名前も挙ったし、それをネタにアノニマスの下りのコメントにお返事を。
オーストラリアの建築家、グレン・マーカット。建築はデザインされたものではなく、発見され、見いだされたものなだけであり、楽器のようにつくられるべきだと。
つまり、楽器は良い音が出てナンボ。まあその上で美しい方がベターでしょうけれど。
こんなスタンスこそが、僕はアノニマスなんだと思いますし、決して出来た形の分類としてあるものではないと思います。
が、マーカットの建築は僕にはどうもロジャース、フォスターのハイテク建築のような見え方を感じるため、どうも生理的にダメなようです(学生時代にどうも意味が分からなかったトラウマか)。
>公共への奉仕・関与
これは、意識的なのか、無意識的に結果的にという事なのか?と考えると、私は後者の立場で全く同意です。だから、決してアノニマスというのは表明すべき言葉ではなく。。
>有機的デザイン(生体模倣:バイオミメティックス)こそがアノニマスの極北
これも同様で、結果的な類型はあれども、そうでなくても別に良いのかという事でしょうか。
その論点の延長には「自由意思と個性」というものは存在しませんが、「歌うクジラ」は面白そうですね。
そもそもアノニマスを引き合いに出した武士の美学的な話に関して、三島由紀夫の深い所は勉強不足でなんとも言えませんが、武士の割合が少数派だったのは当然としても、君主と農民の間でその時代の深い無意識を映す鏡だったんじゃないかと、僕は感じます。
>自分が見ていないもの、見たことも想像したこともないもの
そんな意味で、僕はマーカット建築は形式的(結果的)表現として見ていないものだったのかもしれませんが、意図を読み込む努力はすべきだなと思いました。スタンスはとてもとても素晴らしい。
もちろん結果も素晴らしいから評価されているんだろうけれど、最後は「好み」でしか僕たち創作側の人間には言えませんよね。。例えば「村野好み」というものなら僕もとても惹かれるのです。笑
>屋根は「つかうもの」「つなぐもの」
これはもう少しコメントください!
僕にとっては、「守るもの」「囲うもの」であって、必ずしも屋根型で有る必要はないのかもしれませんが、実際には他にそれを満たせるものが無いから無批判になってしまっているかも知れません。
でも、マーカット建築の屋根は勾配屋根でも全く違う在り方をしてます。
波板!!
僕も使ってみようと思ったけれど結果使えず。。
恒久を求めるものには、見え方も恒久っぽく見えて欲しいと思ってしまうのはある種の偽善かもしれませんが、でも僕は小心者です。
と、昨日つくった煮込みを食べつつ飲んでますが、素材の味が生きてて結構美味い!。
料理も建築もですが、基本的には素材を生かすか、それほど依存せず何かを被せるか、その二つなんだなーと改めて思ってます。
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歯は大切なので、早く良くなれば良いですね。
屋根が「近い感じ」ですか?
そういうのって藤森さんくらですかねえ。。
ディテールとか言っていると,やっぱり近い感じから遠ざかるような気がしますが、言われている事も何となく分かります。
自分でも、美しくプランが出来た時の屋根になればなるほど、ちょっと近い感じからは遠ざかっている面があるというか。
でも、吉田五十八さん、村野藤吾さん辺りの世代の屋根って、モダンでもあり、でも近い感じがして、とても好ましく感じたりもします。
目指したくともコストがネックだったりもしますが。。
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>どことなく不器用でかわいいな
僕は同意します。笑
投げ方も分からないままに、でも遠くに球を投げようと思ったら、フォームなんて気にしてられないというか。
でも、大きな建築というのは本当に難しいと、勤め時代の経験で思います。
カーンの建築なんて、結構大きくても愛情が感じられる希有な例かもしれませんが、でも日本の場合、特に、耐震などの法規制による制約の面が多いようにも思います、ご存知のとおり、実務的な時間がかなり割かれるというのもあり。。
だから僕は今住宅規模のものに逃避している面があるのですが。汗
これではいけないなと感じる今日この頃であります。