ひとりよがりのものさし

  • 2014.02.01
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たまたま知ったのですが帯に「白洲正子が最後に惚れた骨董界カリスマ」なんて書いてあって気になり。

本人も言っているように、「青山二郎や白洲正子さんは本当に凄いけれども、彼らと僕らは同時代を生きていない。着ている服も、履いている靴も違う。それなら美しいと感じる物だって違っていて当たり前だろうと思う」つまり、美術館に入るものが最高であるようなものさしでなく、もっと素朴に、自分が良いと思うものをみつけるという「ひとりよがりのものさし」。

僕も歳をとったからか似たような心境に近づきつつあるから概ねのモノは素直に良いなあと思いましたが、まああとは置く場所でしょう。余りにも寂び(錆びかもw)過ぎているものはやはり置かれる場所も選ぶし、新しい家や家電や新しい服なんかとは決して馴染まないし、僕の家はそれなりに古いものとの親和性はあると自負はしていても、さすがに負けちゃうな〜というものも多かったし、僕はそこまでいかない程度が好みだったりもします。

ずっと思っている事ですが、やっぱり昔はそれなりに「目利き」が居たし、一般の人たちにもそれなりに見る眼があったけど無くなってしまった。でも例えばパリっ子はまだその眼を持っているだろうけれどそれはやっぱり日本と違って美しい環境が残されているからだと思う。

最近何かと古いモノなどを買ってしまい徐々にモノが増えてきているのだけど、余り増やしたくないけれど手元に置いて日々ながめたり触ったりしないとやっぱり感性も鍛えられないからと言い訳しつつ。。老いたらここで骨董商でもやろうかなんていうのは冗談だけど自分で集めたものをちょっとギャラリー的に置いてみる、くらいはやるかも。。